聖霊降臨
執事 アントニオ出口 崇
教会ではイースターから50日が経った日を「聖霊降臨日」として祝います。使徒言行録2章には、聖霊を受けた弟子たちが「霊」によって様々な国の言葉でイエス様との出来事を証言したという記事があり、言葉の壁を越え、多くの人にイエス様のことを宣べ伝えだしたこの聖霊降臨日は、「宣教が始まった日」、「教会の誕生日」として、クリスマス、イースターと並んで、キリスト教ではとても大事なお祝いの一つとされています。
聖公会や、他のプロテスタントの教会ではあまり見ないのですが、カトリックの教会や施設では、聖母マリア像やキリスト像があります。
以前、黙想会でカトリックの修道院に行った時、「復活のイエス」と書かれた像がありました。両手を広げて立っているイエス様の白い像ですが、右の脇に槍で刺された跡、広げている両手の手のひらにも釘を打たれた跡がありました。福音書にも十字架にかけられて殺されるシーンは詳しく書かれているので、考えれば当たり前のことなのですが、イエス様は十字架にかけられ殺された。復活されたイエス様には手やわき腹にそのときの傷が生々しく残っていた。と言うことを改めて思い出しました。
聖公会やプロテスタントでは偶像崇拝を避けるために、これらの像はほとんど置かれていないので、つい忘れがちになってしまうのですが、十字架にかけられる前と復活されたあとのイエス様の目に見える大きな違いは、「イエス様には傷があった」と言うことです。
そのイエス像の傷を見たとき、その傷と私自身が決して無関係ではない、言い換えれば、イエス様の十字架に私自身が深く関わっているということを改めて思い起こし、とても神妙な気持ちになりました。
「弟子たちは主を見て喜んだ」(ヨハネ20―20)
復活のイエス様に出会った弟子たちの感情が書かれていますが、そう簡単に喜べたのだろうかと、疑問に思います。弟子たちはユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていました。イエス様を失った喪失感、自分たちもまた同じような目に合うかもしれないという恐怖感。そして、何よりも大きかったのは、自分たちがイエス様を見捨てて逃げたという負い目があり、家の戸だけでなく、自分たちの心をも閉ざしていたのではないでしょうか。
弟子たちはおそらく一つの場所にはいたけれど、互いに慰めあうことも、責任を擦り付け合うことも出来ない。自分ひとりが抱えている現実に身動きが取れなくなっていて、未来が全く見えない、これからどうしたいのかも考えることが出来ない。ただ同じ場所にいただけだったのだと思います。そんな状況で復活なさったイエス様と再会します。確かにイエス様を失った喪失感は薄れたかもしれません。しかし、自分がイエス様を見捨てた、裏切った事実は変わらず、イエス様の手やわき腹に出来た生々しい傷は、間違いなく自分が関わっている。イエス様を十字架にかけたのは自分である。という後ろめたさは消えることはありませんでした。
以前、ある講演会で「キリスト教での「罪の赦し」とは、「罪が消える」ということではない、と言う話を聞きました。
キリスト教の考えでは、人間は生まれた瞬間から少しずつ「罪」を負っていき、それは決して0にリセットされることはない。宗教によっては「浄化」「罪の清め」と言われ、犯した罪がリセットされると考えられますが、キリスト教では「罪の赦し」によって「清められる」のではなく、「聖とされる」「聖なるもの」とされるのだという話でした。
「あなたがたに平和があるように(シャーローム)」というイエス様の言葉は、「おはよう」のように当時のごく日常使われていた挨拶の言葉ですが、十字架での出来事、弟子たちが見捨てたことに対して、何も苦言を呈するわけでもなく、ただ普段どおりの挨拶をしてくださいました。
イエス様との再会によって罪の「赦し」が与えられましたが、傷は消えない、そんな私たちに聖霊を授けてくださり、そのままで歩んでいくことを命じてくださいました。
聖霊降臨日という教会にとってはイエス様と私たち人間との新たな関係に入った特別な日ですが、その霊の温かみを感じることが出来れば、そして聖霊を受けた私たちがともに集い、祈りをささげることによって、その暖かさを思い起こすことが出来ればと思います。