2004年5月30日  聖霊降臨日 (C年)


司祭 マタイ 西川征士

『聖霊のお働き』

 聖霊降臨日は古くから「教会の誕生日」とも呼ばれ、降誕日・復活日に並ぶ教会三大祝日の一つです。聖霊の教義はなかなか難しいものです。
 私たちは聖餐式のニケヤ信経の中で「主なる聖霊を信じます。聖霊は命の与え主」と告白表明しています。聖霊とは何でしょうか?―それは命をお与え下さる神御自身であり、かつ、その働きです。キリストは父なる神を啓示する働きをされた子なる神。しかしキリストは最早地上では見られないが、「見えざる神の働き」を「見えざるキリスト」として私たちに神の命を与える役割を持つ神御自身の働きであると言えるでしょう。
 聖霊降臨日の起源は今日の使徒書の記事に由来するものです。キリストの死によってバラバラになり、意気消沈していた弟子たちに復活のキリストが現れ、彼らを励まし、特別な力を間もなく与えるとの約束を経て、十字架の死から50日目、ユダヤ教の春の収穫祭(五旬祭)の日に、神の特別な力を受け、弟子たちはキリストの働きを引き継いで、力強く神の言葉を宣べ伝え始めたとのことです。
 使徒言行録はそれ以来の初代教会時代、彼らがどのようにして神の言葉を宣べ伝えて行ったか、どのようにして次々と教会を打ち建てて行ったかを記録したものです。それは使徒たちの働きの記録でもあると同時に、神御自身「見えざる神とキリスト」という聖霊なる神が、どのような働きをされたかを伝えるものであるとの意味で、使徒言行録(使徒行伝)は昔から「聖霊行伝」とも呼ばれてきました。でも、聖書全体が聖霊の所産です。「預言は・・・人々が聖霊に導かれて神の言葉を語ったものだからです。」(ペテロU1:21)とある通りです。
 聖書は不完全な人間が書いたものであっても、聖霊(信仰)によって書かれたものを聖霊(信仰)によって読むとき、聖書は完全無欠な神の言葉であります。聖霊はこうして今日なお長い歴史の中で、人々を導き、働いておられます。
 創世記の人間創造の神話の中で、神は人の鼻の穴から命の「息」を吹き込まれ、人は「生きる者となった。」(創2:7)と語られています。旧約聖書の言葉では「息」も「聖霊」も同一語です。ですから、私たちはパンによる命だけではなく、「聖霊」という「神の息」という命の中に生かされているということを忘れてはなりません。聖霊は神御自身であり、その働きは人間を「生きる者」とすることにあります。
 更に旧約の「バベルの塔」の物語を想い起こしましょう。人々はその知恵を誇り、自ら神の位置を侵かし、神の位置にのし上がろうとしました。神は怒り、彼らの建てた塔を壊し、彼らの言葉を乱し、バラバラの民族とされました。人々は自己分裂の状態に陥れられ、苦しみの中に置かれました。これが人間の現実の姿と重なり合います。
 しかし、創造者なる神は、キリストにおいて、このバラバラ人間に、もう一度「命」と「統一」を回復させられます。十字架・復活・昇天を経て、人類に「聖霊」を与え、「命」を持った人間の再創造をされました。それが聖霊降臨の出来事として表されたということではありませんか。
 それは、バラバラ人間、私たちの世界に、神が新しい命を与え、統一を与え、神と人間、人と人の間に正しい関係を回復させ、平和な統一を与える働きを始めておられることを示しているものであります。
 聖霊の働きは巡航船のようなものです。聖霊は神と人間、人間と人間、自己ともう一人の自己の間を行ったり来たりしながら、その仲を取り持ち、いつも神の命と真理と力をもたらしてくれる巡航船です。
 今、私たちの世界・社会には様々なバラバラ状況があり、何もかも正しく機能していないようにも思え、落胆しきりになりがちですが、今こそ聖霊のお働きを祈り求めるべきではないでしょうか。



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