司祭 ヨハネ 下田屋一朗
【ルカによる福音書3:1−6】
「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」という書き出しです。ルカは、洗礼者ヨハネが活動を開始した年代を時の権力者たちの治世と関連づけて示すことによって、イエス・キリストの出来事を世界史の中に位置づけようとしています。第2代ローマ皇帝ティベリウスの即位は紀元14年の秋、その「治世の第15年」は紀元27年秋−28年秋もしくは28年秋−29年秋にあたるとされています。「ガリラヤの領主ヘロデ」とは降誕物語に登場するヘロデ大王ではなく、その息子のヘロデ・アンテパスです。イドマヤ出身の父ヘロデはローマ皇帝からパレスチナ一円の支配者と認められて大王と呼ばれましたが、その息子たちは分邦領主でしかありませんでした。その一人アルケラオスは政治・宗教の中心地ユダヤとサマリア・イドマヤの太守となりましたが、悪政のゆえに早々と追放され、その領地は紀元6年以降ローマ皇帝直轄地とされてユダヤ総督の統治下におかれます。5代目のユダヤ総督として紀元26年から36年までその地位にあったポンティオ・ピラトは、イエスを十字架刑に処したことで歴史に名をとどめることになります。時の大祭司カイアファは先任の大祭司アンナスの娘婿でしたが、アンナスが引退後も大きな影響力を持ったことにより二人の名が列挙されています。こうした複雑な支配構造のもと、権謀術数が繰りひろげられる生臭い世界の中で、イエス・キリストの宣教活動が展開されていくことになります。
「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」。洗礼者ヨハネは神によって立てられた預言者として活動を開始し、近づく神の審判に備えて罪の赦しを得させるためにヨルダン川で悔い改めの洗礼を授けました。彼こそ昔イザヤが預言した「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と荒れ野で叫ぶ者であり、彼の後から来られるキリストのために人々の心を備えさせるのがその使命であった、と四つの福音書は共通して述べています。ルカはさらに、福音書の最初にヨハネ誕生のいきさつを記してキリスト降誕との深い関わりを示し、ヨハネが母の胎内にいるときからイエス・キリストの先駆者としての使命を与えられていたことを強調します。洗礼者ヨハネは旧約最後の預言者であると同時に旧約から新約への移行の中間に位置し、新約への橋渡しの役目を果たす者として描かれます。それゆえに、降誕節(クリスマス)への準備期間である降臨節(アドヴェント=到来)に、洗礼者ヨハネの聖書箇所が朗読されます。
イエスの時代もいつの時代もそうでしたが、わたしたちもまた、複雑で変転きわまりない世界に生きています。この変動を貫いてつねに変わらないもの、それはこの世界が神の創造の目的
― キリストの再臨と終末における神の支配の実現 ― に向かって導かれているというその方向性です。パウロは言います。「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、霊の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマの信徒への手紙8:22−25)。降臨節はこのキリストの到来を忍耐して待ち望むことを学ぶ時です。