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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2024年5月19日(聖霊降臨日 ) 

主イエスの顕現と聖霊降下

ヨハネによる福音書20章19-23

 

 きょうの礼拝で読まれた福音書の箇所は、復活節第2主日に読まれたところと重複しています。ここでは、週の初めの日、ユダヤ人たちを恐れて、いくつもの戸が閉められていました。イエスはそこにいる弟子たちに顕れ、挨拶をかわしました。「あなた方に平和がありますように」という挨拶と手とわき腹を見せました。弟子たちは、主を見て、それは十字架にかけられたイエスである事を知り、喜びました。さらに8日後、トマスへの顕現もありました。

 イエスは再び「あなたがたに平和がありますように」と繰り返しました。この後の方の挨拶は、受難へと向かう告別の説教で語られたイエスの約束が弟子たちに「平和」をもたらします。

 弟子たちは、天から神からの平和で心が満たした後で、イエスは彼らに使命を与えました。それは、イエス自身が神から託された使命であります。弟子たちはそのイエスの使命に参与する者となるのです。

神が人を土の塵からつくられたとき、鼻から息を吹き込まれました。霊をいれられたのです。イエスは彼らに息を吹きかけられました。

 弟子たちが与えられた使命を担い、それを遂行することができるようにと、復活のいのちを与えられました。新たらしく生きる人に、変えるためでした。

 弟子たちが使命を実行するために権能を与えられましたが、どのような権能を与えられたのか述べられています。

 23節に、「誰の罪でも、あなた方は赦せば、その罪は赦される。誰の罪でもあなた方は赦さなければ、赦されないまま残る」と罪を赦す権能についてイエスは明言されました。

 あなた方はあらゆる人の罪を赦すことができる。どんな人の罪もあなた方は赦せば赦される。イエスはそのような大きな罪を赦す権能を弟子たちに授けられたのです。そのために弟子たちは息を吹きかけられました。聖霊を受けたのです。

 父が私を遣わしたように、わたしもあなた方を遣わす、この遣わすは、命令形かかれていませんが、現在形で温かく包み込んでくださるイエスの包容力を感じます。

 あなた方に平和があるように。シャローム。挨拶受け、息を吹きかけられた弟子たちは聖霊に満たされて、喜びで一杯になりました。戸という戸のすべてに鍵をかけ、あれだけおびえていた弟子たちは、恐れから解放されて喜びと平和を与えられたのです。復活のいのちをもつイエスが現れ、手の傷を見せることによって、主だ、と安心して、平和に満たされました。

 イエスが与えられた平和が、復活の命を生きるイエスと共にいるという喜びを与えられました。この平和が単なる平和ではなく、戦争や争いのない状態であります。「一致・調和」秩序ある状態をいうのでしょう。

 また、シャロームの「安心・平安」の意味するところでもあります。平和が神からの賜物であります。何もしないで勝手に平和がありません。

 この平和がイエス・キリストを通して人に与えられる神の恵みであり、賜物です。

 ヨハネ福音書の平和の概念は、イエスが弟子たちに約束していた平和であります。イエスが与える平和の中で、弟子たちはイエスと共に生きるのです。この平和に招き入れられた者は復活のいのちに生かされ始めているのです。わたしたちは、平和のなかに生かされているのです。

 イエスは、使命と権能を弟子たちに与えました。それは私たちに与えられる苦難を乗り越えていくときに、わたしたちに与えられる平和がイエスの平和であります。イエスは甦り、息を吹きかけられ、復活の命に生きる者へとわたしたちを新しく創造されました。

 黄泉に降り復活したイエスは、わたしたちに息を吹き入れ、聖霊で満たし、多くの権能を与え、わたしたちの生活の場にいつも共にいてくださいます。わたしたちはそんなイエスと共に喜びの生活を送っていきたいと思います。

 きょうの日課の使徒言行録21-11節に「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上に留まった。すると、一同は聖霊に満たされ「霊」が語らせるままに、ほかの国の言葉で話し出した。」

 (使徒言行録23-4)とありますが、この箇所の「舌」も「言葉」も原語は同じです。その日、使徒たちが語った言葉は、民族や言語の壁を越えて人と人とのコミュニケーションを可能にする言葉でした。

 悪霊が人を神から引き離し、人と人との関係を破壊する力だとすれば、逆に聖霊は神と人、人と人とを結ぶ力です。ほんとうにわたしたちの働きが神と人、人と人を結ぶものであれば、どれほど力強い「しるし」になるでしょうか。わたしたちは、聖霊降下を祈り、聖霊を受けて、助けられて日々の生活を送りたいと思います。



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