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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2024年1月14日(顕現後第2主日 ) 

わたしはあなたを見た

ヨハネによる福音書1章43-51

 

 今日の福音書は、ヨハネによる福音書から選ばれ、今日、聞いたみ言葉では、フィリポとナタナエルがイエスと出会う話が記されています。

 40節のアンデレとシモン・ペトロに出会った翌日、イエスは、ユダヤからガリラヤ地方へと下って行こうとした時、フィリポに出会います。43節です「わたしに従いなさい」(43節)と言われました。フィリポという人は、「アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった」(44節)と記されています。ベトサイダとは、漁師の家という意味があります。ガリラヤ湖畔の北岸の町で、ヨルダン川の東にありました。

 イエスはユダヤ人で、元来、ユダヤに属して、そこが彼の故郷であるはずですが、イエスにとっては敵地であります。「自分の民のところに来たが、民は受け入れなかった」(111)ことが明らかです。しかし、ガリラヤはイエスにとって安全な地域でした。イエスは「ナザレの人」(46節)と言われていますように、イエス自身がガリラヤ地方の出身ように描かれています。旅の途中で、フィリポはイエスに出会い、旧約聖書が記し、預言しているメシアと信じて、イエスに従って行くことを決断しました。

 フィリポはその出会いを、自分だけで終わらせません。彼は、ガリラヤに帰ると、友人であるナタナエルに会って、「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも記している方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(45節)と証言しました。 ナタナエルとは、「神が与える」という意味で、ガリラヤのカナという町の出身でした。彼の名はここと、212節にだけしか出てきません。けれども、フィリポはナタナエルに、旧約聖書に預言されている救い主と出会った、「よいものを見つけた」と言い、フィリポの言葉を聞いたとき、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(46節)と疑っています。否定的な態度を取ります。

 それに対してフィリポは、イエスが救い主であることをナタナエルと議論しませんでした。説得しようとはしませんでした。「来て、見なさい」(46節)とフィリポはナタナエルに勧めました。その勧めに、ナタナエルも自分の旧約聖書的見識だけで判断しませんでした。実際に会ってみて、自分の目で確かめてみました。私たちも、人に言葉でイエスを説明するのは大変です。それよりも、「来て、見なさい」とイエスと出会う場をつくることができれば、よいのではないでしょうか。

 イエスは、そういうナタナエルを見て、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(47節)と言われました。ナタナエルについて、イエスは、「あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」(48節)と言われました。

 いちじくは、パレスチナ地方によく生えている樹木です。神の掟である律法のラビはよく、いちじくの木陰で弟子たちを教えました。だからナタナエルは、律法を熱心に学んだ人であったと思われます。

 けれども、ものごとを熱心に学んだ人の一般的な傾向として、自分が学んで獲得したものとは違うものをなかなか認めにくいものです。

 ナタナエルにも最初、認めることができないで「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と、フィリポの考えを否定したからです。けれども、ナタナエルは自分の考えにこだわりませんでした。ナタナエルはこの時、自分がイエスを見るよりも前に、イエスが自分のことを見つけていたことに気づきました。

 神の子はすでに自分たちのもとに来ている、それに気づかない人のためにイエスはその人を見つけるのです。ナタナエルは見つけられたのです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」そして、さらに言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(51節)

 ここでイエスが話されたのは、創世記28章10節以下に記されていますが、のちに、イスラエルと呼ばれたヤコブが、長子の権利を奪ったために兄のエサウを恐れて逃げました。その旅の途中のベエル・シェバというこの土地で、石を枕に休んだところ、天からのはしごを目の当たりにします。天と地が一つのはしごでつながって、天使たちがこのはしごを昇ったり降ったりするのを見たのです。

 これはまさに、この場所が、地からの天の入り口であることをヤコブが見たという出来事でした。ここでは、神とイエスの特別な交わりが象徴されています。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。天の御国とこの地上がまさに一つにされるような出来事を見るようになるのだと言われたのでした。 

 きょうのみ言葉に、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(49節)、私の心を満たすお方です、と信じて告白し続けることができるのではないでしょうか。大切なものと出会い続けることができるのではないか。そう信じて喜びと希望をもって歩み続けたいと思います。



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