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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2023年8月27日(聖霊降誕後第13主日) 

神から与えられた信仰に立つ

マタイによる福音書16章13-20
 

 

 先週の「カナンの女」の信仰の物語でしたが、きょうは、生ける神の子という、ペトロの信仰告白、そして天国の鍵が与えられる場面になります。

 「フィリポ・カイサリア」は、現在は「バニヤス」と呼ばれていますが、ローマ皇帝に敬意を表して、「皇帝の(カイサリア)」町と名づけられました。また地中海に面したカイサリアと区別するために、ヘロデ大王の息子フィリポの名を冠して、「フィリポ・カイサリア」と呼ばれました。ここはヘルモン山の南斜面でヨルダン川の水源になります。この町にはバアルの神を祀った泉水洞があり、大きな岩とほとばしり出る水を背景として、アウグストゥス皇帝を祀った神殿もありました。

 きょうの福音は、イエスは弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」という問いかけから始まります。

 イエスは、すでに処刑されていた「洗礼者ヨハネ」、「紀元前9世紀の北イスラエルの預言者でエリヤ」、また南ユダの預言者であり、迫害に苦しみ抜いたエレミヤの生涯はイエスの運命を予告するものと考えられていました。そして、同じように世の終わりに再び現れると考えられていた預言者の一人と言う人もいたようです。

 イエスは、弟子たちに対して「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いかけます。ひとの噂ではなく、現実のイエスに出会い、イエスの言葉と行いを見てきたあなたがたはどう思うのか、と詰め寄っているかのようです。

 イエス様に「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われたとき、わたしたちは、自分自身の言葉で、何と答えるのでしょうか。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と応えました。

 メシアとは本来の意味は「油注がれた者」でしたが、新約聖書では神が遣わされる救い主を指す言葉です。なお、旧約聖書では「神は生きておられる」という言葉は繰り返し強調されていた言葉です。だから「生きる神の子」と答えたのでしょう。イエスへの信仰を告白したペトロが祝福されています。イエスは「シモン・バルヨナあなたは幸いだ」と言いました。シモン・バルヨナの「バルヨナ」はアラム語で「ヨナの子」の意味らしいですが、「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父である。」とおっしゃいました。信仰告白は、神によってなされたのです。「聖霊によらなければ『誰もイエスは主である』ということができません」と聖パウロも述べています。(1コリント12:3b

 イエスは、わたしも言っておく、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる。と言いました。この「岩(ぺトロ)」はみ言葉をさしています。

 神の啓示に従う者を教会の礎とし、イエスは「わたしの教会(エクレシアー)」を建てる。神の「教会」とは「神の民」であり、神の「み言葉」に応答することの実りであると言えます。そして神は、忠実に応答する者に対しては、使命と権限を与えました。イエスはペトロに天の国の鍵を与えました。それに比べて律法学者は人々に負い切れない重荷を負わせたうえ天の国を「閉ざす」のでした。つまり天の国に鍵をかけました。ペトロに与えられる「鍵」は人々に天の国を開く「鍵」であります。ここで「教会を建てる」というとき、建物のイメージがあります。人々が集まる共同体です。

 「父なる神」が啓示し、「イエス」 が教会を建て、「ペトロ」は大きな権限を受けることになります。マタイはイエス・キリストの教会を普遍的な広がりを持つ神の民と考え、ユダヤ人のシナゴーグと区別しています(マタイ4: 239: 35など)。

 当時、陰府は死者が閉じ込められる場所で、その門を開けて死者を生き返らせることは神以外のだれにもできないと考えられていました。

 ペトロの役割は、単なる門番ではなく、天の国の管理を任されるという大きな役割です。マタイ2313節には、次のようなイエスの言葉があります。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」。教会に与えられた任務はその正反対で、どのようにして、すべての人に対して天の国の門を開くか、ということです。

 「天の国」はマタイ的な言い方で「神の国」と同じ意味です。イエスのメッセージの中心はこの神の国の到来でした。イエスの十字架の贖いによって、さまよっていた人が神との親しいつながりを回復されました。永遠のいのちにあずかる者となりました。教会は天の国そのものではありません。しかし、ペトロに天の国の管理がゆだねられています。わたしたちの教会が本当に神の国の門を開き、この地の人々を招いているでしょうか。そして「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白できるでしょうか

 イエスはペトロの答えを聞いた後、わざわざ「ご自分のことを誰にも話さないように」と命じています。このときはまだ教会はイエスがメシアであると語ることを禁じられています。イエスは十字架に死に、生ける神によって復活する「神の子」だからイエスがメシアであることを公にすることを禁じられています。しかし、弟子たちは復活のイエスに出会った後、異教の神々を礼拝する人々をイエスの弟子とする宣教へと遣わされて行きます。

 弟子は神の呼びかけに答えた者として、その集まりが「教会」エクレシアとなります。教会はこの地域の人々に「イエスは、生ける神の」魂の救い主であることを告白していくことが求められています。



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