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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2023年3月12日(大斎節第3主日) 

真の霊による礼拝

ヨハネによる福音書4章5-26、39-42
 

 

 イエスは、カナの婚礼で、最初のしるしを行われ、神殿から商人たちを追い払われ、そして、先週の箇所では、ニコデモとの対話で「新しく生まれる者ではなくては、神の国に入ることができない」と終末に向かっての心構えを話されました。

 きょうの福音は、43節にイエスは「ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた」とあります。ユダヤからガリラヤに行くにはサマリアを通るのが一番の近道でありますが、通常ユダヤ人たちはサマリアを避けて、ヨルダン渓谷を迂回していました。しかし4節は「サマリアを通らねばならなかった」と述べています。シカルという町は、エバル山の南東麓の町で、ヤコブがヨセフに与えた土地の近くとされています(創48;21)。水を汲む通常の時刻は朝と夕方ですが、サマリアの女は人目を避けて、誰も井戸にやって来ない正午の時間帯に水を汲みに出てきました。彼女には5人の夫がいて、今いるのも夫ではない、と人のうわさなるような暮らしぶりでした。

 イエスは疲れて井戸のそばに座っていました。そこへサマリアの女が水を汲みに来ました。イエスはサマリアの女に「水を与えてください」といいます。サマリアの女は、イエスに言います。「ユダヤ人のあなたがなぜサマリア人の私に頼むのか」と対応しています。当時、ユダヤ人はサマリア人のことを異邦の影響を受けた堕落した人たちだと蔑んでいました。サマリアの歴史を遡れば、紀元前926年頃にソロモンが死ぬと、イスラエル王国は南ユダと北イスラエルに分裂しました。紀元前722年にアッシリアが北イスラエルを征服すると(王下176)、サマリアはアッシリアの州都となりましたった。アッシリアは属州サマリアに異民族を移住させた(王下17:24)のです。サマリアでは異民族との接触や混血が起こり、正統ユダヤ教徒はこれを侮蔑していたのです。「サマリア派」の成立は紀元前3-2世紀と見られています。

 サマリア人はモーセ五書のみを経典とし、ゲリジム山で神殿祭儀を行っていました。

 ユダヤ人は聖書全体とエルサレム神殿を奉じていました。このため、民族的・宗教的には同じ起源を持つにもかかわらず、両者は対立していました。

 また紀元前18年には、ゲリジム山のサマリア人の神殿を、ハスモン家のヨハネ・ヒルカノスT世が占拠し破壊するという事件が起こり、ユダヤ人とサマリア人との対立は決定的なものになりました。

 イエスは、ユダヤ人とサマリア人との確執などまったく無関係のように、「生きたいのちの水」について話します。イエスが井戸の水ではない「いのち」の水について語り始めると、女性はその水に興味をもって、15節では「私にその水を与えてください」と願い出ます。水を乞われた者が水を乞う者へと物語は変わります。 イエスを信じる者が受ける「永遠の命」に至る「生きている水」(1011節)が、文字通りの「飲み水」と対比されています。「生きている水」という表現は、貯水槽などにためられた水に対して、水源から湧き出て、常に新たになる水を表します。この言葉を聞いたサマリアの女が冷たくて美味しい湧き水しか思い浮かべられなくても当然ですが、イエスにとっては「永遠の命」に至る霊的な水を意味します。

 「主よ、永遠に渇くことのない水をください」わたしたちもこの恵みに与りたいものです。願って預かるのです。

 イエスに自分の私生活を言い当てられたサマリアの女は、この人は「預言者だろうか」と考え、ユダヤ人とサマリア人が争っていることの一つ、まことの礼拝はどちらの山で行われるべきかを尋ねます。サマリア人たちはエルサレムではなくゲリジム山で礼拝をささげていました。どちらが正しい礼拝の場所なのかが争われていましたが、イエスの答えはそのどちらでもありません。イエスは「サマリアでもエルサレムでもない所で礼拝する時が来る。しかも「今がそうだ」と言います。場所に限定されない礼拝は神の力である「霊」と神が与える「真理」によってささげられる。ヨハネ14章では「真理の霊」、すべてを教え、イエスの言葉を思い起こさせる聖霊についてのべています。

  女性が「メシアが来られることは知っています」と言い、ようやくイエスの言葉がメシアの到来に関係があることに気がつきます。しかし、それは完全なものではありません。彼女は「その時」が「今来ている」というイエスの言葉を聞き逃しているからであります。

  メシアの到来について語る女性に、イエスは「それは、あなたと話をしているこのわたしだ」と明かします。サマリアの女が事態を正しく認識するためにはイエスによる啓示がなければなりません。サマリア人もユダヤ人も待望していたメシアが今彼女の目の前にいるのです。

 女性はこのメシアの到来を一刻も早く、また一人でも多くの人々に知らせようとします。そして、女性からイエスのことを聞いた多くのサマリア人たちがイエスのところにやって来て、イエスを信じます。そして、自分たちのところに宿をとるように頼みました。そこでイエスは二日間そこに滞在し、その間に、さらに多くの人々がイエスの言葉を聞いて信じるようになりました。

 彼らは女性に「私たちはもうあなたが話してくれたからではなくて自分で聞いてこの方が救い主だとわかった」と証言します。イエスはキリストであると宣べ伝えるこの女性の役割は重要でありますが、しかし宣教する者の言葉はそれをさらに超えます。人々が直接にイエス・キリストへと向かうようにと働きかけます。イエスの言葉が宣教者を通して働いているのです。



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