header
説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2023年1月1日(主イエス命名の日) 

羊飼いと天使

ルカによる福音書2章15-21
 

 

 きょうの聖書日課の根拠は、ルカによる福音書の21節の「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示されていた名である。」という個所が根拠になっています。イエスと言う名は、主が救うという意味です。この名を付けたことがきょうの聖餐式のインテンション、意図になっています。

 そして、日課は、天使たちが離れ去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムに行こう 主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」そして、急いで行って、ヨセフとマリア、また飼い葉桶に寝かせてある幼子を探し当てた。その光景をみて、羊飼いたちはこの幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。(17節)と始まります。そして、18節に「聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。」のです。不思議と訳されていますけれども、岩波訳を見ますと「驚いた」と訳されています。この言葉は、ルカによる福音書の降誕の箇所に、何度か出てきます。驚くとは、私たちは想定外のこと、意外なことに直面しますと、驚くのであります。1772年につくられたジョン・ニュートンの「驚くべき主のめぐみ」というアメージンググレイスという聖歌がありますが、まさに神のみ子が誕生したのでした。わたしたちの聖歌集では、「やさしき息吹の」になっていますが、本家の聖公会なのにどなたが訳したのか。

 イエスに出会うことは、すでに 救いの出来事に出会って、もう救いが始まっているのです。主は救うという出来事に出会うとき、驚くということに深くかかわっています。驚きは救いの始めと言ってもよいかもしれません。

 イエスとの出会いは、信仰の始めであり、その第一歩であります。羊飼いたちの話しを聴いた人々も、驚きに包まれました。その傍らには、マリアとヨセフもいたでしょう。皆が羊飼いたちの話しに耳を傾けていたのです。羊飼いたちの話を聴いた者たちは、様々な反応を示したと思います。羊飼いたちの話をそのまま受け入れて、信じる人たちもいたでしょう。

 もっと詳しく知りたい、もう一度聴かせて欲しいと、羊飼いたちに言う人もいたでしょう。反対に、羊飼いたちの話を信じないで、そんな阿呆な、と言う人もいたかもしれません。信仰への入り口は、本当に千差万別であっただろうと思います。

 羊飼いたちは一生懸命、自分たちに起こった一連の出来事を熱く語ったでしょう。人々も様々な反応をしたと思います。

 わたしたちが抱く、クリスマスの場面は、とても静かな情景を思い浮かべる方が多いと思いますが、このときばかりは、かなり賑やかだったことでしょう。羊飼いやその周りの人々が、この救い主について、語り合っているのですから。しかし、この交わりの輪の中から、一歩、身を引いているマリアの姿がありました。

 「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(19節)。のでした。羊飼いたちや人々とは対照的に、マリアは静かに黙していました。受胎告知があってから、驚くべき出来事が次々と起こりました。羊飼いたちが話してくれた、天使の言葉も、マリアにとっては驚きだったでしょう。しかし、マリアはこれらの一連の出来事や語られた言葉を、心の中に落とし込んで、このことが一体何を意味しているのかと、思いめぐらしていたのであります。

 マリアのここに描かれている姿は、まさに黙想の姿です。マリアは、驚くべき出来事を、黙って、静かに思い巡らしていたのは、黙想していたのです。一体この出来事は何のことなのか、一体この言葉は何を意味しているのかと、驚きながら、思い巡らし、黙想をしていたのです。沈黙をして、神の言葉に黙って耳を傾けていたのであります。

 そして、クリスマスのとき、主イエスがお生まれになるときもそうでありました。救い主が飼い葉桶のなかで、布にくるまってと記されて書かれていますが、これは人間が宿泊できるような場所ではありませんでした。立派な産着を着せてもらったわけではなく、綺麗な場所でお生まれになったのでもない。家畜のえさを入れる飼い葉桶の中に、布にくるまって、お生まれになったのが、私たちの救い主の驚くべきお姿であります。

 羊飼いたちは、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て、一連の出来事を人々に知らせました。そして、讃美をしながら帰って行きました。羊飼いたちは、どんな言葉で讃美をしたのでしょうか。一つ想像できることは、羊飼いたちも天使たちと同じ讃美をしたのではないかというものです。14節の「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちの讃美の歌声を聴き、その歌を自分たちが賛美したのです。そしてこの賛美は終わることなく、今日まで歌い継がれているのです。詩と賛美の歌が今日もこの聖堂に響き渡るのです。わたしたちもこの驚きの恵みを伝えるのです。



このページトップ」へ戻る