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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2022年12月25日(降誕日) 

イエス・キリストの福音

ヨハネによる福音書1章1-14
 

 

 クリスマスのメッセージでは、マタイとルカが詳しく描いています。その中でもマタイは系図から描いています。アブラハムから始まって、最期にはイエスキリストで終わります。ヨセフの受胎告知、聖霊による受胎、インマヌエルと呼ばれます。

 ルカは誕生までの道筋を描いています。神の特別な御業によって誕生します。それは第二イザヤ52章の苦難のしもべの歌と言われているところです。捕囚の民に向かって告げ知らせるのです。

7 節から引用しますと、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」「彼は平和を告げ、恵の良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王になられたと。」「主はシオンに向かって呼びかけよ。」シオンとはエルサレムのことです。

 貧しい人がエルサレムに残されている状況が記されています。そこに伝令がよいしらせ、すなわち福音を宣べ伝えるために走って来るのです。平和と福音を伝えに来るのです。あなたの神は王となられた。」だから一緒に喜びの声をあげよ。主はその民を慰め贖われた。」となっています。 第二イザヤは、紀元前6世紀にバビロン捕囚の地で活動した預言者の預言であると言われています。

 その根拠は、エジプト王キュロスが登場してくることからです。

 中東世界で強固だったのです。この時代に預言されたものがイザヤ書40章から55章を形成しています。主はみ腕の力を振るい、国々の民の目に現わされました。

 地の果てまで、すべての人が、わたしたちの神の救いを仰ぐ」、とあります。エルサレムが解放されるときの意味が良い知らせとして、イエスの誕生を引き寄せて考えているのです。日課のヨハネによる福音書11節から見ていきましょう。

 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉が神であった。言葉のリズムが良いので、すらすら流れていきますが、

 言は、初めに賢い者があった。という最初の日本語訳があります。

 ホー・ロゴスは男性名詞で人表します。しかもこれは人格をもったホーという冠詞が使われています。ロゴスとは言です。言語のこの漢字は当て字です。

 ギリシャの哲学者ヘラクレスは、宇宙をコントロールしている根本原理はロゴスである。と言っています。時代が下がってこのコイネーの時代、すなわちイエス・キリスト誕生後の時代に、紀元90年代後半ごろに書かれました。このヨハネによる福音書のロゴスは、イエスキリストを現わすものとされています。

 天地創造の初めにイエス・キリストが存在していたのです。

 主のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。創造以前からあり続ける真の光、この光が世に来ました。これがイエス・キリストの誕生です。なぜなら「すべてがイエスを通して起こった、と言われているからです。

 自ら光り輝いている光が世に来るこれがクリスマスです。

ロゴスは自分の民のところへ来られたのに、世は創造主を受け入れなかったのです。

「まことの光」であるイエス様が世に降ってきて、すべての人を照らします。「言」によって造られた「世の人々」は、言を「認めないで」、「受け入れないで」、十字架によって拒みました。

 しかし「信じる者」には「神の子」となる力が与えられる。という約束をされています。信じる者は人間の血や欲によらず、「神から」生まれる、というのです。「神の子」の誕生、クリスマスはいわば第二の創造であります。そして最初の降臨です。神のみがそれを成し遂げられたのです。

 肉となった「言」、つまりイエスは神が地上に臨在する新たな場であります。「命ある生きた言葉として私たちのうちに宿り、恵みと真理を私たちにもたられました。

 福音書記者ヨハネが、この福音書を天地創造の場面から始めたのは、神の救済の意思が創造の初めから今に至るまで変わらないことを示すためであります。その神の救済の意思を告げる永遠の「言」が、時間の中に、この地上に現れたのです。「父からの独り子」は、18節では「独り子である神、父の懐にいる方」と呼ばれています。

 神との親密さを持つ独り子によって「恵みと真理は成った」 のです。父の懐にいる方が地上に来ることによって、人間は初めて本当の「恵み」と「真理」とを知りました。こうして、見ることのできない神が、この地上に現されました。独り子の受肉によって、まことの神がどのような方であるかを知る道が開かれたのです。

 なぜなら「すべてが彼、すなわちイエスを通して起こった」と言われているからです。この「言」は、力である以上に「いのち」であるのです。だからこの「言」は人間と真に関わろうとする神の意志を表わすと言ってよいでしょう。

 人間が虚無や絶望や罪といったその神の創造の意志を告げる永遠の「言」が時間の中に、この地上に現われたのです。だからこの方において、人は神が恵みと真理の方であり、人間を救う方であることを知るのです。地上にくだってきた「言」が、やがて十字架によって神の恵みと真理を告げるのです。

 イエス・キリストは、この地上における神の新たに臨在する場になりました。その栄光を目撃するわたしたちは、時代をこえて、信じる者の群とされたのです。

 このイエス・キリストの豊かさの中に、何もかも受け入れてくださるイエス様によって、恵のうえに更に大きな恵みを受けたのです。律法は恵みを通して与えられましたが、その律法の規範の上にイエス・キリストを通して、救いの恵みがあらわされました。

 今だかつて神を見たものはいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神に示された。「恵みと真理」の方であることを生涯かけて知らされました。これは洗礼者ヨハネの言っていた神なのです。十字架において神が人間を救う方であることを現しました。一人のみ子によって私たちは神を見ることができるのです。

 わたしたちは、神と出会っていきたいと思います。



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