header
説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2022年4月17日(復活日) 

ここには誰もおられない

ルカによる福音書14章1-10
 

 

 きょうの聖書のルカによる福音書の24章は準備しておいた香料と香油をもって、朝早くから主イエスの墓に向かう婦人たちの様子を描くところから始まりました。この時点で、婦人たちの頭の中には、主イエスの墓が空になっているということが想像しなかったでしょう。まして、主イエスが復活しているという期待すらもたなかったようです。もし、そのような期待があるならば、香料と香油を準備して墓に行くということはなかったからです。

 ルカによる福音書によれば、イエスの遺体を十字架からおろして墓に納めたのは、既に安息日が始まろうとしていた金曜日の日没近くでした。安息日には何の仕事もしてはならないというのがユダヤ人のきまりでしたので、日が暮れるまでに大急ぎで墓に主イエスの遺体を納めたということが分かります。

 ガリラヤから来た女性たちが、金曜日の午後三時に十字架の上で息を引き取られた主イエスの遺体に対して、何の葬りの為の装いもしてあげられなかったことが、心残りで仕方がなかったのでしょう。

 女性たちは、家に帰って香料と香油を準備して、安息日があけるのを待ちました。そして、朝早く出かけたのでした。

 当時、死んだ人の体には香料が塗られることになっていました。愛する者が死んだのなら、その遺体を大事にしてあげたいと思うのが自然な情ではないでしょうか。私どもも遺体をきれいに拭いて、その人が大切にしていた服を着せてあげて、棺の中に納め、そして花を入れます。それとよく似た思いではないかと推測します。

 アリマタヤのヨセフが準備した墓に納めるのを彼女たちも立ち合い見ました。しかし、何もしてあげられなかったのです。十字架の上で処刑された人をお上の許可なしに勝手に葬ることなど出来なかったのです。それに既に安息日が始まる時刻が近づいていたので、とりあえず埋葬をした、というところでしょうか。だから彼女たちは、安息日が終わるのを待って、主イエスの墓へと急いだのです。

 墓に着いてみると、墓のふたを閉めてあったはずの石が脇に転がっていました。当時のユダヤの墓は横穴ですので墓の穴の中に入ってみますと、主イエスの遺体が見当たりません。一体、主イエスの遺体はどこに行ってしまったのか。彼女たちは途方に暮れてしまいました。すると、「輝く衣を着た二人の人」が現れました。天使たちでした。

 女性たちは、驚きました。恐れて地に顔を伏せました。そして、この天使たちによって、こう告げられたのです。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」と言われました。そういわれても、彼女たちは主イエスが十字架の上で死ぬところ見たのです。そして、アリマタヤのヨセフによって墓に納められるのを、自分の目ではっきりと見たのです。だからこの墓に来たのです。

 しかし、天使たちは「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」と告げ知らせたのです。主イエスは復活されて生きておられるのだからこの墓にはいない、と言ったのです。

 もっとも、このことを主イエスは、事が起こる前から弟子たちにご自分の復活について話してこられました。

 天使たちは更に言います。「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」確かに主イエスは、自らが殺され、復活することを語られました。922節、183233節にあります。彼女たちは確かに聞いていたのです。しかし、忘れていました。そのような彼女たちに向かって、天使は「思い出せ」と告げます。そして、婦人たちは「思い出した」のです。(ルカ9:2218:33)。

 確かに弟子たちはこのことを誰にも口外しないようにと口止めされていましたが(ルカ9:21)、女性たちも耳にしていたのでしょう。後で出てくるみ使いたちの言葉は、女性たちも主イエスが復活について予告されていたことを知っていたことが前提になっています。また、事実、女性たちは主イエスの言葉を耳にしていました(ルカ24:8)。

 弟子たちも婦人たちも、主イエスが復活されるということを予告されていたにも関わらず、そのことを信じることができませんでした。また、それを期待することもなかったということです。

 だから驚いたのです。そして8節の「そこで、婦人たちは主イエスの言葉を思い出した。」のです。急いで墓から帰って11人と他の人たちに話しました。

 「主イエスの遺体を納めた墓が空であった」という、事実の報告をしました。しかし、婦人たちも弟子たちもまだその復活された主イエスとは出会っていないのです。11節に「使徒たちは、この話が、たわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」とありますように、使徒たちは主イエスが復活されたということを婦人たちから聞きましたが、まだ信じられなかったのです。

 女性たちが目撃したのは、復活した主イエスご自身ではありませんでした。あるべきはずの主イエスの遺体がなくなっている 空の墓でした。お墓が空っぽであるということは、必ずしも復活の証拠ではありません。そうであればこそ、空の墓を目のあたりにして、婦人たちも最初は途方に暮れるしかなかったのです。空の墓は、主イエスが復活されたことの「一つのしるし」には変わりがありませんが、しかし、これを証拠に主イエスの復活を信じるということは、あり得ないのです。


このページトップ」へ戻る