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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2022年1月9日(顕現後第1主日 ・主イエス洗礼の日) 

イエス洗礼を受ける

ルカによる福音書3章15-
 

 教会の暦では、顕現日での降誕節のお祝いの祈りに続き、きょうは主イエス洗礼の日です。イエスはヨルダン川で洗礼を受けたのは、イエスが生まれてから30年も経った後の出来事です。

 幼子の誕生から急に成人したイエスの洗礼の話に変わりました。しかし、そこには、イエスは神の子として現れた、という降誕節の出来事と同じ主題が内容的に繋がっているのではないかと考えられます。同時にこの洗礼の出来事は、30歳になって活動を始められたイエスの活動の出発点でもあります。

 ヨハネは「水で」洗礼を授けますが、この水による洗礼は霊によって救いをもたらす洗礼への準備段階でもあります。それは罪の赦しのための回心の洗礼であります。後から来られるそのお方は「聖なる霊と火において」洗礼を授ける、というのです。イエスが祈っておられると聖霊が鳩のように降ってきました。

 これをイエスご自身と群衆が確認しています。

 ルカ福音書は、実際に到来したイエスの姿に合わせて洗礼者ヨハネの言葉を解釈し直しました。「聖なる霊と火において洗礼を授ける」は「聖霊に浸す」という、聖霊に覆われているというイメージです。

 ルカでは、イエスも洗礼を受けて祈っておられると 天が開け聖霊が鳩のように目に見える形でイエスに降り、イエスの上に留まるのを見た。「と洗礼者が客観的に記されています。あなたはわたしの愛する子」という声が天から聞こえました。この「愛する子」という言葉には、イエスが神の子として、主の僕としての使命を生き始めることが示されているわけです。

 これら一連の出来事は、その場にいた人々が見聞きした出来事だったようです。この出来事には、イエスが神の子として、民衆の前に現されたということと、同時に、この後のイエスの行動から考えてみますと、イエス自身が神の子としての使命を自覚したという面もあると言えるのです

 この出来事はイエスの内面的な体験でもありました。この言葉の背景には、イザヤ421節以下があると考えられます。新共同訳で引用してみますと、こうなっています。

 「1 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷(ちまた)に響かせない。3 傷ついた葦(あし)を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。4 暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。」これは「主の僕の召命」と呼ばれるところです。

 イエスは民を代表して、神との交りを求めます。父なる神から民を託されたイエスが祈っている間に、「天が開かれ、聖なる霊が降り、声が起こる」という出来事が起こりました。まず、天が開かれる出来事は、祈るイエスに対して神が答えてくださったのです。イエスの祈りに応えて天が開かれると、聖霊がイエスの上に降って来ました。

  開かれた天からは声が起こり、イエスが誰であるかが、明らかにされました。それが明らかにされたのは、イエス自身のためでもあり、イエスに託された民のためでもありました。

 イエスは神に愛されたみ子であります。しかも、第二イザヤの述べる、神の心に適った主の僕が、神に従って苦しみを受け、すべての人々の罪を背負って、神に取り成しをしたように、イエスも神の心に適った者として受け入れられ鵜交わされています。

 ヨルダン川で聖霊に満たされた時を起点に、イエスの神の子としての活動が始まっていきました。そして、ペンテコステの日、使徒たちの上に聖霊が降り、使徒たちは福音を告げる活動を始めました(使徒言行録2)。洗礼・堅信の按手は、同じようにわたしたちが聖霊を受けて教会の使命に参与していくことを表しています。聖書の多くの箇所で聖霊は「ミッション(派遣・使命)」と結びついています。人間が神から与えられた使命を果たすことができるように、神の力である聖霊が支え導くのです。これこそが洗礼・堅信按手の中心テーマです。イエスが民と共に洗礼を受けたのは、イエスと共に「私の愛する子」と呼ばれる希望をすべての人に与えるためです。わたしたちも神の子となる恵みを受けたのです。

 自分が神に愛された子であると深く受け取り、洗礼を授けられたわたしたちは、聖霊に支えられて神の子としてのミッションを生きること」がきょうの福音から読み取れるのではないでしょうか。

 父と子と聖霊の名によって洗礼を受けた者は、この洗礼の有様を受け次いでいます。これは洗礼によって、神の子とされた私たちもこの恵みに与っています。感謝です。だから私たちは隣人のために、執り成しの祈りをする特権が与えられています。祭司として遣わされていることに感謝したいと思います。

 きょう特祷で祈りましたように、

 み名によって洗礼を受けたすべての者がその約束を守り、み子を救い主として、大胆に告白することができますように、父と聖霊と共に一体であって世々に生き支配しておられるみ子イエス・キリストによってお願いいたします。


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