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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2021年9月26日(聖霊降臨後第18主日 ) 

イエスの名によって生きる

マルコによる福音書9章38-43、45、47-48

 

 先週は、その前の最初の受難予告に続いて、イエスは2回目の十字架への道の苦難を受けるという予告をしました。それはご自身の十字架の道へ弟子たちを招きましたが弟子たちは理解できませんでした。先週は弟子たちに対して「仕える者になること」「子どもの一人を受け入れるもの」ということを語られました。きょうも、イエスに従う弟子たちの生き方について、示されています。
 ここには、弟子たちの生き方についての教えだけでなく、イエスご自身の十字架の道がどのようなものであるかということも示されていると言えそうです。
ヤコブの兄弟である弟子のヨハネは、「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」(38節)。イエスの名を使って悪霊を追い出していました。しかし、自分たちとは歩みを共にしない人たちがいたようです。これはイエスの地上での活動の時代よりも、後の教会の時代になってからの方がありそうな問題です。
 イエスは、わたしたちに逆らわない者は味方でると明言します。弟子集団のなかでの優越感は人を差別し、躓かせます。そういう危険性があることをイエスはおっしゃっています。そんな人は、石臼に巻き付けられて投げ込まれる方が良いと言います。弟子の間の仲たがいは不必要な自負心から生じます。具体的には自分こそがイエスに従っているという意識が、他人を差別する心を生み、さらに自分の立場を絶対視する特権意識を育んでいきます。
 弟子が水を飲ませてもらうとするなら、それはその弟子の能力によるものではないのです。弟子が弟子であるのは、個人的な働きや個人的な能力のためではなく、キリストに属しているからそうなるのです。そして、弟子が互いに取るべき態度について教えます。「マルコ9章42節では「わたしを信じるこれらの小さな者」と述べられているように、「小さな者」は、イエスを信じるキリスト者の呼称のようなものであります。イエスの前では、すべてのものが「小さな者」として同等なのです。そのことを忘れ、自分の立場を大きく絶対化して、イエスを信じる者を「つまずかせる」者は、大きな裁きを免れません。
 この「小さな者」を文字通りに解するなら取るに足らない未熟な者」の意味になりますが、イエスがキリスト者を「小さな者」と呼ぶときには、そうした軽蔑的な意味は含まれません。「小さい」はキリスト者にとって謙遜のしるしであり、この世では小さくとも、神の国では大きな者、偉大な者のことです。イエスにとって、「最も小さい者こそが最も大きな者である」とルカ福音書9章48で述べられているとおりであります。
 次に、イエスはわたしたちに「自分に対して取るべき態度」について教えています。 「手」「足」「目」が自分をつまずかせるならば 、それを切って捨てよ、との教えが繰り返されます。ここで、「手」「足」「目」は、つまずかせるものを象徴的に表しています、文字通りに手や足を切り離せというのではないでしょう。自分をつまずかせるものはすべて捨て去るようにと教えることにその目的があります。
 「つまずき」の原因を除去する理由を述べて、「命である神の国に入ること、ゲヘナの中へ投げられることより良い」と教えます。手や足や目は人間に必要なものであり、それを捨て去ることには大きな苦痛が伴います。しかし、苦痛がどのようなものであれ、神の国という命の世界に入る方が良いに決まってい
ます。
 ゲヘナは、エルサレムの南にあるヒンノムの谷のことで、異教の神への幼児犠牲が行われた場所であり、後に町の汚物、動物や罪人の死体をそこで焼却しました。そのため、死後、悪人が罰せられる場所、つまり地獄の同義語となりました。神の力を現すことは「イエスの名によって」ということがなければ、行うことはできません。ヨハネが拒もうとしたある者は、イエスの名に立って、イエスの名において行動している限り、イエスの弟子であります。だから弟子にとって捨て去るべきものは、まずは無用の自負心であります。弟子が弟子であるのは、その人の個人的な能力によるのではなく、キリストの名が冠され
ているということにあります。
 キリストのものであるという「その名によって」、弟子は弟子として受け入れられるのです(41節)。そのことをわきまえ、自分に罪を犯させるものを捨ててキリストに従う者は、神の国に入って命を得ることができる。神の国に入るのはまだ先のことというのではありません。神の国とは神の支配のことであす。イエスの到来によって、それはすでに始まっているのです。神の前に妨げとなるものを捨てるなら、今、この地上にあって、神の国がもたらす命の世界にすでにくみ込まれているのです。


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