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説教要旨

(牧師) 司祭 モーセ  石垣 進

2021年5月2日(復活節第5主日 ) 

命令を守るものに聖霊を与えられる

ヨハネによる福音書14章15-21

 

 わたしを愛しているなら私の戒めを守る。今日の中心メッセージは、神は助け主である聖霊を送り、イエスの愛の中に留まります。そして、その聖霊は真理をえること、だといわれます。先主日に続きヨハネによる福音書から読まれました。

 このヨハネ福音書で言われている「戒め」はモーセ律法のことではなく、父の御独り子に託した命令であります。そして、そのみ子イエスが弟子たちに示した教えのことであります。その教えというのは、神の子イエス・キリストへの信仰に留まることであります。

 戒めを与えてくださったイエスの十字架の愛を知り、そのイエスの十字架の愛を知り、そのイエスを愛しているなら素直に戒めを実行することができます。

 そして、きょう読まれました使徒書のヨハネ第一の手紙323節の「イエスを通して示された愛の中で、互いに愛し合うことです。」と、結び付けることができます。

 父なる神を愛し、父の愛を受けて生きてきたガリラヤでの宣教活動、そして、十字架の死と復活に至る全生涯が、父の「戒め」沿ったものであるということ、それは聖霊の働きによってなされることを見ていきたいと思います。

 きょうの福音の中では、イエスは、私たちのために父にお願いしてくださいました。その願いとは、イエスが地上を離れるとき、永遠にわたしたちと共にいる他の弁護者を遣わしてくださっています。

 これはわたしたちを過ちから守る「真理の霊」であります。わたしたちに真理を証しして、悟らせ、イエスの教えを思い起こさせ、彼らを誤りから守る聖霊なる神のことであります。ヨハネ福音書では、イエスは「父」から与えられた「子」としての業を行なうのです。それは、信仰の眼をもって聖霊なる神に委ねてこそ、イエスが語った言葉や行いを理解することができるのです。

 父が弟子たちに、他の弁護者である聖霊を遣わすからです。イエスが去った後弁護者を遣わすことで、父は聖霊を通して、イエスが語ったすべての言葉や行いを解き明かす働きをします。

 しかし、この霊を世は受けることができませんでした。この霊を受けているという事実が、イエスを信じる教会共同体を不信仰な世から切り離して、特別な存在に変えてしまいます。世はこの「弁護者」を見ることも、知ることもできませんが、イエスを信じる者はそれを知り、それとの関わりの中で生きています。イエスが去った後、父が派遣するこの「弁護者」はいつまでも弟子たちと一緒にいて、彼らを導いていきます。

 この告別の説教と言われている、説教の中で、イエスが父のもとに帰ると知った弟子たちは、寂しさだけでなく、恐れにも囚われています。敵対する世にあって、どのように生きるべきか、不安だからです。イエスの弟子たちと同様に、ヨハネ福音書が書かれた時代のキリスト者も不安の中にありました。

 一世紀末のユダヤ人社会ではイエスをキリストと告白することは村八分にされることを意味しています。しかし、ヨハネはイエスを信じる共同体を満たしている聖霊は他の別の弁護者によって、決して「孤児」とはされない、と説いています。

 キリスト者は、このような愛に包まれ、励まされてイエスのみ言葉を生きることができるのです。 他の弁護者である聖霊なしでは、イエスの語った言葉の意味を弟子たちは自分たちだけでは理解することができないのです。

 聖霊の働きによって私たちは、イエスが主であると告白できるのです。

 イエスを通して神から与えられる言葉は、人間が神から離れたこの世の知識に頼る限りは、その意味を知ることはできません。

 イエスと聖霊に守られて、神の言葉の意味を知って生きる者とは、自分の理解に留まることなく、聖霊に頼り、イエスが歩まれた新しい生き方へと向かうものです。そして隣人に目を向け、霊に導かれて心の目を開かれて日々の生活を歩んで行きましょう。



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