栃木伝道の始まり(明治〜大正時代)
明治期の終わり頃、R.W.アンデルス司祭、カールセン執事が栃木における伝道を開始したことから、当教会の歴史が始まります。開設されたばかりの栃木婦人刑務所初代所長として羽村就久氏(聖公会信徒)が就任、同氏の栃木定住が栃木における伝道の契機となりました。
アンデルス司祭、カールセン執事は、羽村氏宅において家庭集会を度々行い、参集者の増加に伴い1915(大正4)年当時の万町2丁目に講義所を設立いたしました。
1918(大正7)年、講義所は「栃木聖アルバン教会」と名づけられました。
現礼拝堂の建築(昭和〜現在)
1928(昭和3)年4月22日、木造スレートぶきの礼拝堂として現在地に旧礼拝堂が建てられ、礼拝・牧会・伝道の拠点として用いられました。1990(平成2)年5月4日、現在の礼拝堂が建てられました。
当教会は、大戦時に「栃木聖公教会」と改称を余儀なくされましたが、1999(平成11)年、再び創設時の名称「栃木聖アルバン教会」に改称することを決定し今日にいたっております。
この栃木聖アルバン教会の発展のためには、多くの方々の祈りと労苦がありました。創立者アンデルス司祭、カールセン執事の他、長年当教会に定住し礼拝・牧会・伝道に生涯を捧げられた方に、大久保直彦主教(第4代北関東教区主教)及び矢口清子伝道師が挙げられます。
栃木聖アルバン教会は、これらの信仰の先達の福音伝道の使命を受け継ぎ、栃木の人々へキリストの愛と平和をお伝えし、祈りかつ奉仕するため、今後とも歩んで参ります。
わたしたちの教会は「日本聖公会」に属する教会です。
「聖公会」は、カンタベリー大主教を精神的指導者とするイングランド国教会から生れ、世界160ヵ国に広がる36の管区からなるキリスト教会です。
信徒は6,500万人。36の管区は教義を共有していますが、それぞれが自治権を有しています。
ローマ・カトリックとプロテスタントに大別される西方キリスト教会の中で、「聖公会」は、両者の持つ要素を兼ね備え、その中間に位置する教派であると言われてきました。
日本においては、全国に約300の教会があり、約270名の教役者が働いています。
立教大学・桃山学院大学を初めとする教育事業、聖路加国際病院等の医療事業、また多くの社会福祉事業を担っています。
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