魔法の名前
私は中学校1年の時に洗礼を受けました。
セシリアという洗礼名は、私に洗礼を授けてくださった、中島修司祭がつけてくださいました。小学校高学年で学校の聖歌隊に入り、中学に入ってからは日曜学校のオルガンを弾き始めた私を見て、「セシリアというのは音楽の守護聖人です。あなたは聖歌隊で歌っているしオルガンを弾くから、この名前はちょうどいい名前です。それに記念日もあなたの誕生日に近いから、これになさい。」と言われました。「はい」と言いましたが、中学生の私にはなじみのない外国の名前でした。マリアとかマーガレットとかエリザベスという名前なら知っていましたが、セシリアははじめてです。「ローマではチェチーリアという古い名前です。」と言われるとなおさら、なんだか変な名前!と思いました。
大学生になり初めて外国での生活を経験した時に、洗礼名のありがたさを感じました。寮のハウスキーパーのおばさんが、誰よりも早く名前を覚えてくれたのです。Midoriという日本の名前のほかにCeciliaという英語の名前を持つ学生を可愛がってくれただけではなく、日曜日には必ず教会に誘ってくれました。寮監の先生も「あなたはセシリアだから音楽が好きでしょう?」と言ってコンサートの情報をくれたり、一緒にピアノを弾きながらたくさんの歌を歌ったりしてくれました。セシリアという洗礼名が、魔法の呪文のように世界を開いていったと思いました。
今では、たくさんの外国の友人が私のことをセシリアと呼びます。夫の友人であるバングラデシュのショルカル司祭のことを私たちはポール(パウロ)と呼び、香港人の陸くんのことをダニー(ダニエル)と呼び、アフリカのマラウィから来た友人をエステルと呼びます。皆、欧米人ではありません。でもお互いに洗礼名で呼び合う時、不思議な連帯感が生まれます。ポールもダニーもエステルもセシリアも、国は違うけれど同じ神さまを信じている兄弟姉妹だという連帯感です。洗礼名には不思議な力があります。
セシリアと呼ばれると、中島先生のことを思います。先生、いい名前をつけてくださってありがとうございました。私、この名前大好きです。
《ほっとひといき》 ヴェロニカ藤田伸子
セシリア殿,原稿をありがとうございました。何となく,お飾りのように感じていた洗礼名ですが,ちゃんと名前としての機能を十分に発揮しているのだと改めて感じました。自分の呼称なのですから大切にしなければなりませんね。緑姉のように胸をはって「大好きです。」と言えるようになりたいと思います。
来月のお手紙は秋元兄です。どうぞお楽しみに。
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