「すぐ,来い。」

 リチャード 佐藤 嘉道
 立教大学で名物神父竹田鐵三先生から早朝電話があった。俳句について話をしたいとの事。突然の事で,俳句にはあまり興味もなかった。
「今日は学校で職員会議が予定されているので,ちょっと行けないと思いますが……」と答えると先生は即座に言われた。
「僕の話と職員会議とどちらが大切かね。」「行きます。……」「すぐ来なさい。昼前までに着くように。」
茨城から秋葉原で乗り換え本八幡まで結構時間がかかる。一日がかりである。それに雨である。
東北線に乗ってしまうと久しぶりに先生に会えるというので気分爽快になった。車窓から景色を眺めながら先生との出会いを思い出していた。先生の突発的な行動にはいつも驚かされる。
説教の時に急に質問してみたり,その後「今日の俺の説教はどうだった?」
「難しくてよく分からない」と言うと,「おまえの頭では,やっぱりな。…」などと言う。
 先生宅に到着すると玄関に出迎えてくれた。顔を見ると今朝の暗い気持ちが一変した。
お茶を飲みながら先生の話が始まった。
「 蟋蟀や物縫う母をおもかげに。
 蟋蟀こおろぎと読むんだが,わかるだろう?貧しいんだよ。生活状況が分からなくてはな。うちも大変だった。暗い台所の片隅でいい声でこおろぎが鳴いている。母はたいした稼ぎにもならない針仕事をしている。思い出すよ。
  白足袋や一度洗いし白さかな。
 この句はお前にぴったりだ。わかるかね?」
「全然わかりません。第一,白足袋なんか昔夏祭りで御輿をかついだ時に,はいたくらいで……。小学生の頃,冬は紺色の足袋ははきましたが……」
「どうせ,ぼんくら小学生だったんだろう。」いつものやりとりである。
「いいか,白足袋を一度おろして履くとよごれてしまい,すこし黒ずんでしまう。汚れてしまったなと思う。しかし,その汚れた足袋でも洗うと新しい白さに気が付いて,前のような白さでなくてもうれしいもんだ。お前のような駄目なヤツでも良くなるかもしれんぞ。ハハハ……。」
 昼食後,鐵三先生の俳句の師,松根東洋城の話。
「縁側に松根先生が庭を見ながら座られている。我々は,部屋の中で句を詠んでいる。出来上がると恐る恐る先生の傍らに置く。出来が良くないとぽいと黙って投げ返す。さらにうまく詠もうとすると自然ではないのでまた投げ返される。それじゃ,また一つと……。これが続いていく。」
「先生,なぜ俳句なぞしてしまったんですか。俳句は面白いものですか?」
「そんな事,説明したってしようがない。時間があっても明答が出ない。わかるだろう?君の空手と同じだよ。オッス!ハハハ…。愚問だな……。あれだよ。あれ…」
 愛の話を思い出した。
「愛とは何かをどんなに説明するより,幼い子が母親を呼ぶ時のあの声を想像したまえ。おかあさん!おかあちゃん!その声の中に愛があり,説明する必要はない。母親の言う事を自然に子供がきくことがある。それは言葉を聞いて理解しているのじゃない。言葉を感じているのさ。これでなくちゃ…。」
「先生,僕は先生の手,よくわかっていますよ。言葉はなくても。」
「ハハハ……。お前は殴りっこばかりやっていて単純でいいな。」
 楽しい笑いの一日が終わり,夕方先生宅を後にした。85才過ぎても,元気
で毒舌も盛んであり,時折見せる間白い髪をかきわける姿が印象的であった。
「すぐに来なさい!」私を心に留めて,気にかけて下さった先生の有り難さを思うと涙が止まらなかった。
 この日が通称ファーザー竹田,鐵三先生,との別れの日であった。
 3ヶ月後,11月。先生の葬送式が行われた。愛唱歌
「愛のみちかいの つゆたがわねば……
 かれのの くさの いろなき この身に ふり かかりてよ」
 帰り道,ふと右を見ると日本刀即売会。これも先生の導きかと思い,いつもお世話になっていた青木猛氏にお金を工面していただきその場で購入。今の私の愛刀になっている。
※竹田鐵三(86才)立教大学宗教科,ニューヨーク神学院卒。立教大学チャプレン,俳人。豆本出版多数。漫談風の説教と酒脱な随筆,俳句で人気があり,長嶋茂雄,本屋敷錦吾選手らの野球部のよい相談相手となった。62年11月19日逝去。(朝日新聞)
BACK
はじめのページへ