当時の想いは・・・
高校2年生の夏、友人に誘われ「福音キャンプ」に参加。これが私の"聖書"との出会いでした。榛名で開かれたそのキャンプは、聖書の学びを中心にしながら、
レクリエーションも楽しく、私にはとても新鮮でした。
でも、今までにない感動はありましたが、言葉は心に届きませんでした。
それからしばらくしての集まりで、ある兄弟が「イザヤ書 53章」を開いて話して下さいました。その時、イエス様の十字架がストンと胸に落ち、理屈ではなく『信じられる』と思ったのを覚えています。
私が通っていたキリスト集会では、特にクリスチャンネームをつけるということもありませんでしたし、バプテスマを受けるとパンと葡萄酒にあずかれました。
その後、聖公会でお世話になるようになった時、洗礼だけでなく堅信も受けなくては陪餐にあずかれないとのこと。エッ??
しばらくは、しかたないか・・・とそのままだったのですが、礼拝に出席しながら陪餐にあずかれないのは残念に思い、堅信を受ける決心をしました。
それでクリスチャンネームは、
テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、
主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。
― 使徒の働き 16章 14節 ―
(新改訳聖書のため、皆さんのお使いの訳と違っていてすみません。最初に買ったもののためか、つい使いやすいので。)
"ルデヤ"が出てくるところはこの箇所しか知らないのですが、この聖句のようになれたら・・・・なんて、当時はかっこいいことを思い決めたように思います。
それからもうだいぶ長い年月が過ぎましたが、年々理想からはほど遠い生活になっています。「初心忘れるべからず」は、何にでもあてはまるでしょうか?
(ミニ知識) 藤田伸子
岡村姉のクリスチャンネーム「ルデヤ」について調べてみました。インターネットで検索してみると,出版会社の名前として使われていたり,婦人会の名前としても用いられていたりと,ルデヤの知名度の高さがうかがわれました。子育てママのサークル名もありました。
「神を敬い,神様の働き手を助け,もてなす女性」とありました。とある牧師の説教では,ルデヤを取り上げ,「神様が人の心を開くのだ。」ということが強調されていました。
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