教会暦
降誕節
2019  うまやのあかり
A stable lamp is lighted
Richard Wilbur (1921-)
ANDUJAR
David Hurd (1950-)
(訳詩 堀口香代子)
 『H82』に収められた現代的なクリスマスの聖歌です。キリスト降誕の喜びを土台に、受難と死、復活・昇天を重ね合わせ、地上におけるキリストの生涯全体を想起させる内容となっています。
 「石は叫ぶ」とある特徴的なフレーズは、主のエルサレム入城における、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」[ルカ 19:39-40] という箇所をモチーフにしながら、詩全体を通して、「石」が象徴的に多くのことを表現しています。訳詩者による翻訳ノートに、この詩の世界がよく解きほぐされていますので、以下に記します。

 「1節で歌われる「石」は、マリアとヨセフがベツレヘムへの途上で踏みしめた石、そして主の誕生の喜びの輝きに照らされたベツレヘムの石です。何も見えない、聞こえない、感じないはずの石、その石でさえも一つ残らず驚きと賛美の叫び声をあげるほどに、主の誕生は全天地一体となっての喜びでした。
 2節での「石」は、主がエルサレムに行かれる途上で踏みしめられた石、ろばに揺られて通って行かれた道の傍らにあった石です。人々が歓声をあげ、勝利を象徴するシュロの枝で、主をお迎えしても、石は自分が口がきけないだけに、主の、言葉にならない苦しみを知っていたのです。石の叫びは、歓喜熱狂の人々の叫びではありません。石の叫びには悲しみが秘められています。
 3節における「石」は、裁きの場から十字架を背負って、ゴルゴタへよろめきながら歩まれる主が踏み越えて行かれた石、その道ばたの石、主の血と汗と苦しみを、み足の跡を通して知っていた石です。空の暗澹たる悲しみと石の叫びは二重奏のようです。また、石は自らの冷たく堅い特性を、人の心の頑なさに置き換えて、嘆きと痛みの叫びをあげます。
 2,3節では、石さえ叫び出すほどの苦しみと悩みに遭われた主の、人としてのご生涯を述べ、4節では、わたしたちのためにこの世にお生まれになり苦しみと蔑みの中に世の罪を贖ってくださる主イエスが、いと高き神のみ座につかれて最後の勝利を得られるという万感の喜びと、父なる神に対する感謝が歌われます。生まれ給うたことが、苦難と栄光をともに意味する主イエスのご生涯―そのお誕生を、石でさえ、喜びと感謝をもって声高らかに歌い上げます。」
(訳詩者の翻訳ノートより抜粋)


 降誕節以外にも、復活前主日のエルサレム入城を記念する礼拝において、ふさわしく用いることができるでしょう。また、降臨節前主日(特定29)B, C 年の日課(選択可能箇所)にも対応しています。
 作詩のリチャード・ウィルバーは、米国の詩人で、各地の大学で教える一方、自らの創作詩集、またモリエール、ラシーヌといったフランス古典文学の翻訳、シェイクスピアや E・A・ポーの作品集の編集に携わりました。この詩には、他の曲が付けられていましたが、1984年に書き下ろされた新たな曲との出会いによって、詩情豊かな彼の作品の真価が生かされることになりました。
 作曲は、ニューヨーク・ジェネラル神学校の教会音楽教授で、作曲家、コンサートオーガニストとしても活躍しているデヴィッド・ハード。彼は、『H82』の編集委員の一人でもあり、その聖歌集には、彼の作・編曲のものが30曲近く収録されています。
 『試用版』では、四声体の第一譜(改訂委員会編)と、ユニゾンで歌う、作者自身による伴奏譜の第二譜を併せて用意しました。オリジナル伴奏譜(第二譜)は多少難しいと思われますが、霊的な余韻を残すこの歌のこころを、より深く感じられるものです。
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