直江津聖上智教会

暑中お見舞申し上げます。お体を御自愛ください。
数年前の5月のある夜、突然電話があり、上越市の直江津聖上智教会に行くように命ぜられ、それ以来同教会と関わりを持っている。
その昔、高校時代、担任の教師が青山学院出身の英語の教師であり、ホームルームや英語の時間に、英国事情・米国事情を話してくれた。又、Ernest Hemingwayアーネスト・ヘミングウェイの第一次大戦中のイタリア戦線を題材にしたFarewell to Arms
『武器よさらば』や、For Whom the Bell Tolls『誰がために鐘は鳴る』、メキシコ湾での漁師である老人と海の生き物との葛藤を描いたThe Old Man and the Sea『老人と海』を読まされ、平和について考えさせられた。これらのこともあり、高校3年時に進級する春、祖父が、当教区出身でA大学のチャプレンをしていたB司祭を訪ね、A大学の案内書を持ってきたが、青山学院に親しみを感じ同大学に進学した。
東京大学が入学試験を中止した年であり、大学紛争が激しかった時であった。聖公会の信徒も在学していた。
祖父母から「大学の近くの、大きくもなく、小さな教会に行きなさい」と言われ、門をたたいたのが大学から徒歩20分ほどの場所にあった渋谷聖公会聖ミカエル教会であった。閑静な住宅地にあり近くには広尾高校、実践女子大学、國學院大學、聖心女子大学があった。
聖餐式は歌ミサであり、高校時代まで過ごした上田聖ミカエル及諸天使教会と異なり、ウルトラ・ハイチャーチであり、眼を白黒、ぱちくりして出席していた。
地方出身の青年もいた。その中に、直江津聖上智教会出身のCさんがいた。彼女は、渋谷の広尾にある日本を代表する医療機関の看護大学に在籍していた。直江津に帰省し、上京した折、名物「笹団子」を頂戴した。時々、食事をしながら直江津の教会の事を熱い思いで話してくれた。
戦後、カナダ聖公会の援助のもと、アンダーソン司祭夫妻はじめ、多くの教師、信徒の方々により始められ、開拓伝道により設立されたのが直江津聖上智教会である。あの時から半世紀近くになる。まさか私が、直江津の教会と関わるとは思いもよらなかった。風の便りによればCさんは東北のある看護学校の教師をしているとの事である。
当教会については、時には林てる代先生、遠藤弓子先生の教えを受け、私自身なんとかやっています。
当教会の設立に関し、その取り巻く環境は非常に厳しいものでしたが、それにもかかわらず、その後、創意と工夫により、幼稚園を開園し、今子ども達の声で溢れています。
吉田敏子園長をはじめとして多くの先生方が、将来の日本を背負う子ども達のために熱意を持ち懸命に教育、保育しています。
イースター、クリスマスには、園の先生方も聖餐式に出席し、大きな声で、答唱、唱和し、聖歌を歌い元気が漲ります。今夏、子ども達のためのプログラムもたくさん組まれています。願わくば、直江津聖上智教会、聖上智幼稚園(現・聖上智オリーブこども園)が神の器として用いられますよう、神の栄光が一層増し加わりますよう祈っております。
(長野聖救主教会、直江津聖上智教会主日勤務)

イースター

厳冬期、雪におおわれて、死んだようになっていた自然に、ようやく若芽があふれています。

茶色がかった緑、萌黄色の緑、白っぽい緑、色とりどりの緑が一杯です。

今や若い生命を示すように緑が溢れようとしています。

冬の間、澄み渡った空を突き刺すような木々の枝が、新しい生命の躍動に芽ぶき始め、大気も冬の厳しい鋭さが和らぎ、丸みをおびています。

新しい生命の若芽の「漲る」春です。

植物において、花が咲き、実が実った後、枯れてしまっても、種子が地に落ちて、翌年、再び、芽を出して育つ、あるいは、茎や葉は枯れても根が残っていて、そこから春になると、芽が出てくるという自然現象を初代教会の人々も見ていたと思います。

生命みなぎる喜びの春、イエス様のご復活を記念し、祝う復活日=イースターは、クリスマスよりずっと古く紀元一世紀から祝われてきたキリスト教の一番大きな祭りです。

日曜日に、学校や会社が休みになるのも、金曜日に十字架にかかって死なれたイエス様が、日曜日の朝早く、復活なさったことを記念し、教会の礼拝に行くためです。

イエス様の十字架の死は、全き人間として、死なれることでもありましたが、罪に陥っている私たち人間の罪を背負っての身代わりであり、深く、広く、高い愛の実践でした。

イエス様の復活とは、愛であるイエス様が、神様の生命に生かされ、この世での命とは別な新しい、神様の「永遠の命」に生きていることです。

イエス様は、言われました。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る、わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。」(ヨハ12・24b~26b)

イエス様に従うならば、私たちもまた、春の新しい生命のように、イエス様と共に新しい命に生き生きと生かされていくと思います。

これは、キリスト教の一番初めからの中心的信仰です。

クリスマスは、よく知られ、多くの人々に、抵抗なく受け入れられていますが、イースターは、毎年、異なった日にくるせいもあり、イエス様の死からの甦りは、仲々分かりにくいことです。

しかし、必ず死ななければならない私たちの死が、私たちのすべての終わりでも、虚無になってしまうのでもなく、イエス様に従うのならば、死は新しい生命への門口であり、神様の生命に生かされることである、との希望を持つことのできるのは、この上なく大きな喜びです。それがイエス様の復活への信仰であり、イースターを祝う意味です。

司祭 テモテ 島田公博
(主教座聖堂付)

『東日本大震災を覚えて』 

東日本大震災より3年6ヶ月以上になります。この間、余震や台風、津波と聞くたびに、「被災地は大丈夫だろうか」と案じてきました。
犠牲となられた2万人近い方々の魂の平安を祈り、今なお不安な生活を送っておられる被災地の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
今なお盛んに今回の地震、津波、原発事故について科学的現象としてとらえ、「なぜ起きたのか」と原因やメカニズムを究明し、検証しつつあります。やがて、その説明は完全なかたちで私たち国民の前に明らかにされると思います。
特に、原発事故は天災ではなく、「人災」と言われています。重大な過失に対して、「想定外」という言葉で責任をあいまいにしている関係者の姿勢に、いらだちを覚えました。
日本の科学技術は地震の予知ができるし、原子力の制御も可能であるかのように思っていた点があります。しかし今回の震災によって、原子力の利用についても警鐘を鳴らす役割を、唯一の被爆国である日本が皮肉にも担うことになりました。
私たちは、優れた科学技術をもちながら、人間の力や知恵の及ばないことがあることを受けとめ、心の姿勢を正していかなければならないと思います。
復興の要である政治に仕える人々や原発に責任を負う人々に目を向けても、この点が欠落しているように思います。その傲慢な姿勢を改めないかぎり、同じ過ちを繰り返すと思います。
旧約聖書にも天変地異や民族の興亡が記され、それは一見、厳しい神の裁きのように描かれています。しかし、突き詰めて読んでみると、神は民に対して愛と善しか試さず、預言者を遣わして民が悔いて立ち帰ることを求めておられます。日本の真の復興は大いなるお方の前に姿勢を正し、祈ることから始まると思います。
私たちは豊かな大自然の恩恵に浴してきました。その一方で自然災害に遭うたびに己の小さな存在を自覚し、姿勢を正し、野に出でて、畏れと祈りをもって天を見上げて祈る民でした。
人間が人間以上の大いなるお方の存在を仰ぐとき、心は澄み魂は清まっていきます。このような民族の霊性をもって素晴らしい国づくりをしてきたのが日本です。被災地の復興は停滞を許されません。しかし、何よりも、私たち国民の一人ひとりの内の精神的土台、すなわち祈りの土台が据えられなければ、真の復興にはなっていかないと思います。
震災の報道を読んでいると、月日が経つにつれて「宗教」に触れる記事が多くなりました。「宗教の役割は何か。巨額の義援金を集めたり、大勢のボランティアを動員したりすることなのか。それもよいことだが、心痛む被災者に寄り添い、その悲しみ、痛みに耳を傾けることではないか」と。亡くなられた方々の魂の平安を祈り、遺族でもあり、被災者でもある方々の拭いがたい痛みを癒やすことです。
このたびの震災を振り返ると世界からも賞賛される日本人の美徳が発揮されました。それは魂の中に流れている自己犠牲の精神が現われたことです。私たちはこの尊い精神を受け継いで生きてゆきたいと思います。
一方では復興の指導者の欠如や、風評被害、被災地のガレキ受け入れ拒否等、利己的な面もあらわになり、重い課題を残しています。このようなことを含め、日本はもっと精神的に目覚めてゆかなければならないと思います。
私たちは、2万人にも及ぶ犠牲者の死を記憶し、被災地の痛みを心に刻み、これからも震災に向き合い続ける必要があります。そして、一人ひとりが復興の基となるものが何であるかを深め、応えてゆかなければなりません。
この精神的目覚めがなされる限り、今後、日本が大震災に見舞われても必ず真の復興を遂げると思います。また、そのことが災害で苦しむ世界の国々の希望となることを信じ、祈らずにはおられません。

司祭 テモテ 島田公博
(主教座聖堂付)

『クリスマス・カロル 』

幼年期、上田の聖ミカエル保育園で過ごしました。12月に入ると、毎年、チャールズ・ディケンズの「クリスマス・カロル」(クリスマス賛歌)を温もりのある薪ストーブのそばで、林(旧姓花里)梅子先生から読み聞かされました。はな垂れ小僧、ほっぺの赤い女の子達は瞳を輝かし聞き入りました。先生の熱い思いが充分、伝わってきました。

ディケンズのこの作品は、クリスマス・イブからクリスマスにかけての2日間を舞台にしています。主人公は、シェイクスピアの「ベニスの商人」の金貸しシャイロックのような人物で、ケチで金を貯めることしか考えないスクルージと言う老人です。

クリスマス・イブ、スクルージのたった一人の甥が、ケチで結婚もせず、一人で暮らしている伯父を思いクリスマスの夕食にと誘いに来ます。「クリスマスおめでとう、伯父さん」と明るく元気な声がしました。スクルージは言った。「何がクリスマスおめでとうだ。何の権利があってお前がめでたがるのかってことよ。貧乏人のくせに」。スクルージにとっては金があること以外にめでたいことはなく、クリスマスなぞは無関係なのです。そして、「お前にゃいいクリスマスだろうよ。今までにだって相当役にたったことなんだろうからな」と。スクルージと甥とのこの二、三のやりとりの後にディケンズは甥にこう言わせています。「僕はクリスマスがめぐってくるごとに―その名前といわれのありがたさは別としても、……もっとも、それを別にして考えられるかどうかはわからないけれど―とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持ちになって人を赦してやり、情け深くなる楽しい時節ですよ。ですからね、伯父さん、僕はクリスマスで金貨や銀貨の1枚だって儲けたわけじゃありませんが、やっぱり僕のためにはクリスマスは功徳があったと思いますし、これから後も功徳はあると思いますね。そこで僕は神様のお恵みがクリスマスの上に絶えないようにと言いますよ」。その後、スクルージは独りぼっちの冷たい家に帰り、その晩、夢を見ます。その夢の中に4人の幽霊が登場し、3人の幽霊がスクルージを過去、現在、未来へと連れて行きます。第1の夢は、若い時代のこと、彼の過去のクリスマス、そして忘れていた自分の過去の思い出を、反省と後悔と共に夢見ます。次いで楽しい笑いに満ちた現在のクリスマス。そして第3の夢、未来のクリスマスは、スクルージの死と、一切を失う自分の姿を見て彼は恐怖に戦きます。一夜明けて、夢であったことを知ったスクルージは、喜びと感謝で一杯でした。彼は一夜にして変わりました。「私は心からクリスマスを尊び、一年中その気持ちで過ごすようにいたすつもりです。私は過去、現在、未来の教えの中に生きます。この3人の幽霊様がたは、私の心の中で私をはげまして下さいます」と必死に誓い祈ります。そして、クリスマスの日、皆に心からのクリスマスの挨拶をし、喜びをもって善意を示します。

一晩で人が変わることはあり得るでしょうか。スクルージの変化、それは、人は心の深みに達する経験によって大きく変わリ得るものです。クリスマス、それはあの甥が言ったように、「親切な気持ちになって人を赦してやり、情け深くなる楽しい時節ですよ」です。自分たちより困っている人達のことを親身に考えようとする時、普段は忙しくて他人のことなどかまっていられなくても、365日の中の1日、このクリスマスの時だけでも、他の人のことを思おうとする日なのです。

司祭 テモテ 島田 公博

『11月』

信州は今、晩秋を迎えております。例年になく暑さが厳しかった今年の夏。しかし、木々の葉は活発に光合成を行い、まもなく到来する冬に備えるため養分を蓄え、昼と夜の寒暖の差が大きく開くこの時期、山々は美しい紅葉に変わります。

11月は、教会暦、最後の月です。11月1日の「諸聖徒日」で始まり、11月28日は、降臨節第1主日、そして、11月30日の使徒聖アンデレ日と続きます。

11月1日は「万聖節」、凡ての、もろもろの聖である人たちの魂を記念するという意味で、「諸聖徒日」と言い、亡くなった凡てのキリスト者の魂を記念し、その方々のために神様に祈る日であり、翌日、11月2日は、「諸魂日」と言い、世を去った凡ての人々の魂を記念し、神様に祈る日です。

教会では、毎日曜日の礼拝の中で、亡くなった人々の魂のために神様に祈っておりますが、11月は、「諸聖徒月」とも言い、一生懸命に生き、亡くなった人々のことを想い、その魂を安らかに休ませて下さるように神様に祈ります。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」(テモテへの手紙二・4章7~8節)

11月1日に、この日を記念するようになったのは、ローマ教皇グレゴリー3世(731~741)の時代、ヴァチカン大聖堂の中に諸聖人崇敬のための礼拝堂を奉献し、礼拝したことに始まります。

人の死後について、確かなことはわかりません。或る人は、何もかも無くなってしまうと考えており、他の人は、肉体は無くなるが、魂は生きていると考えています。

大昔から、多くの人々の願い、期待、希望として、死後も人の魂は生きていると信じられてきました。もし、人の死後が何もない、虚無であるとすれば、今、私達は希望も何もない虚無に向かって必死に生きていることになり、人生は空しいものになってしまいます。

聖書は、この世の務めを終わった人の魂は眠り休んでいるが、やがて最後の時、命の源である神様の許に行くのであると教えています。

ですから、今、生きている私達は、世を去った人々のために、この方の魂を受け容れて下さるようにと祈ると共に、私達が生きている間、神様に喜ばれるような充実した人生を送れるようにと、導きと守りを祈りつつ、希望を持って生き続けることができるのです。

世を去った多くの方々の魂のために祈りましょう。

司祭 テモテ 島田 公博

『「ハミルトン先生」』 

夏、 アカシヤの木の葉が繁り、 ほのかに甘い香りを漂わせ、 白い花が咲く頃、 上田の教会に在籍した時代を思い出す。 このアカシヤの木は、 戦後、 ある高校生が植えたものである。
聖ミカエル保育園舎のある一画に、 かつて、 フローレンス・ハミルトン先生が住んでおられた。 品位のあるカナダの婦人宣教師で、 戦前松本で、 そして、 戦時中カナダに帰国され、 戦後来日され、 上田でお働きになった。 婦人達、 保育園の教師達、 子供達等に多くの事を教えてくださった。 当時、 毎週水曜日、 先生のお宅に婦人達が集まり、 保育園児の着るエプロン等を製作し、 その果実を教会に献金していた。 聖餐式では、 祭壇に向かって右最後列左が先生の指定席で、 常に全体を見渡し、 礼拝中、 不規則な事があれば、 式後注意された。 礼拝に関しては、 主任司祭は、 ほとんど沈黙していたように思う。 子供心に邦人司祭は、 カナダ人宣教師にまだ頭が上がらないのかと思った。 この事については、 後、 長野の教会に移り、 生前のウォーラー司祭と親交のあった方々との話の中から、 その謎が解けてきた。
50・60年代、 聖餐式のオルガニストは、 少年・少女が担当していた。 その指導も先生がしておられた。 どんなに上手に弾けても、 一流の音楽大学を卒業しても、 先生の指導を受けなければ、 オルガニストになれなかった。 それは、 オルガニストの奏でる音が、 会衆・式全体に微妙に影響するため、 その任には、 純真でニュートラルな少年・少女が適任であったのであろう。
草野球、 魚取りに興じていた小学校高学年の頃、 ハミルトン先生からオルガンを教えて頂くはめになった。 母は大変喜んだが、 少年は嬉しくなかった。 週1回、 先生のお宅で指導を受けた。 居間に伯父さんであり、 どの教会にもある中部教区初代主教ハミルトン師父の写真があった。 同主教が就任された経緯を練習の合間に聞かされた。 先生自身、 同主教の影響を受け来日されたことを話された。 神学校で勉強し、 日本語を習得する苦労話を聞かされた。 流暢な日本語で、 少年に理解できるように話された。 「イエス様にお会いし、 お話しするために聖餐式に出るんです。」 少年には何か感じるところがあった。 そして、 最後に 「聖餐式では、 信仰がなければオルガンは弾けません。」 で終わるのが常であったが、 何のことかわからなかった。
ある秋の土曜日、 祖母から日曜日祭壇に飾る花を教会へ届けるように頼まれ、 自転車で届けた。 すると聖堂からオルガンの音が響いてきた。 そっとのぞいてみると、 ハミルトン先生が弾いておられた。 決して上手な奏法とは思えなかったが、 少年の心の旋律に感動を覚えた。 太平洋の荒波を1ヶ月以上、 命を賭けて渡り、 遠い異国の地で、 イエス様の口・手・足となり、 神様と人々に仕え、 また母国カナダから送られてきた数々の物資を分け与えてくださった行為。 その人生、 生きざまがオルガンの音に投影されていると思った。 練習不熱心な少年は、 先生の期待に反し、 オルガニストになることはなかった。 申し訳ないことをしたと思っている。 その数年後、 先生は、 カナダに帰国された。
さて、 新しい聖歌集が用いられてから1年が過ぎた。 この聖歌集の主要目的の一つは聖餐式を豊かにすることにある。 日々の生活の中で、 神様を仰ぎ見、 その御心を行う心を持って、 聖餐式の中で聖歌を歌う時、 実り豊かな音、 声を響かせることができると思う。

司祭 テモテ 島田公博
(飯山復活教会勤務)

『御降誕の出来事』

御降誕の出来事を通し、神様のお働きが、人間の思いと想像を超えた所に及んでいるということを思わざるを得ません。
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」(マタ・2・1~2)
エルサレムから数十キロ離れた寒村での救い主誕生の知らせは、ダビデによって約束され、ソロモンによって建てられた神殿のある宗教的、政治的中心地であったエルサレムに最初に告げ知らされるべきでありました。しかし、エルサレムの人々には告げ知らされず、遠く離れた東方の地にいた学者達が、その誕生の知らせの星を見ました。ところで聖書では「東」は良い意味が与えられていません。例えば、アダムとエバそして、カインは、エデンの東に追放されました。「東」は、人生に躓き、神様から追いやられた寂しく暗い所でした。しかし、きらびやかな社会の中心である宮殿、神殿ではなく、社会の周辺、異邦の地である「東」でこの星を見たということの中に、御降誕の深い意味があると思います。
次いで、その誕生を知らせる星は、ヘロデの世に輝いていたと記されています。イエス様がお生まれになったのは、ヘロデ王の時代であり、当時、ユダヤはローマの属国であり、人々は、圧制に苦しみ、暗黒の時代でした。その時、この星は、博士達をエルサレムに導き、ヘロデの宮殿を通り過ぎ、小さな幼子の家に導きました。ここに、御降誕の星のもう一つの大切な意味があると思います。
真の権威は、強力な軍隊や兵器によって示されるのではなく、幼子によって、生まれたばかりの命そのもの、何も持たない幼子こそが、真の権威であることを星は告げていると思います。この世の頼みとする物を身につけることによって人生の意味、確かさを得ようとするのではなく、何も持たないで、命として、神様によって造られ、神様の前に生きること、そのことの意味を星は告げていると思います。
そして、その星を、ユダヤ人からは差別され、人間扱いされなかった異邦人である博士達が発見し、彼らはその星を見て出発しました。星を眺めていただけでは救いは確かなものとなりません。彼らは、星の招きに答えてその道程の幾多の困難に遭遇しながらも、主イエス様に巡り会いました。闘い、生き抜き、主イエス様の御旨であると信じて従う時、そこに真の救いがありました。
2006年のクリスマス、私たち自身の人生の身近な所で、さまざまな問題に直面しています。しかし、もう一度イエス様によって与えられた命そのものとして生きることを、主イエス様の御降誕とともに決意しようではありませんか。

司祭 テモテ 島田 公博
(飯山復活教会勤務)

『11月に思うこと』

北信濃にある飯山は、今、晩秋を迎えようとしています。春霞にけむる千曲川のほとり一帯に咲く黄色い花の大群落、高野辰之作詞、文部省唱歌、「おぼろ月夜」のモチーフとなった鮮やかな菜の花畑。蝉の声と共に深い緑につつまれた夏。そして今、突き抜けるような青空に、鮮やかな赤や黄色に染まりゆく秋を迎えようとしています。
上杉謙信が、川中島合戦の拠点として築城し、12年間の合戦の間にも、武田信玄の攻めに落城しなかった「堅固な城」。名利を求めず、ひたすら修業に打ち込み、多くの民衆の信望を得た名僧が修業した20余の古刹がたたずむ雪国の城下町、寺の町は、知識を蓄えた長い歴史に裏付けされた静けさを与えてくれます。

さて、11月は、教会暦一年の最後の月であり、降臨節が迫り来る月であり、そして、また、逝去者記念の月でもあります。

「(永遠の)命を得るために、(中略)神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明し」(テモテへの手紙一6・12b)神に望みを置き、一生懸命に生き抜き、信仰の戦いを立派に戦い抜いた人々の魂を大切に考え、記念・・し、主にある交わりを共にし、祈ります。この記念・・(アナムネーシス)とは、単なる過去の追憶ではなく、より積極的な意味であり、時間と空間を越えて再び現実のものとなり、死者と生者が、主イエス・キリストにある交わりにあずかることであり、やがて私達も、主と一つになる霊的な交わりに入れられることであり、ここに、私達の勇気と希望が与えられます。全ての亡くなられた方々の魂の平安を祈りたいと思います。

2004年も、まもなく過ぎ去ろうとしています。世界各国で続く、戦火、テロ、暴力の連鎖、長引く経済の低迷、漠然とした閉塞感。暗い時代が続いているように思います。脱亜入欧、富国強兵、明治以降の日本は、西欧文明を追い求めてきました。それは、積極性、能動性、生産性、効率性といった力の論理を重視、絶対化した弱肉強食といった力と強さの思想です。戦後、特に米国の文化が日本に影響を与えたように思います。アメリカンドリームに代表されるアメリカ的文化は、明るさ、健康に価値を置き、人間の弱さや悲しみのような影の部分をマイナスの価値として切り捨ててきたように思います。本当は、弱さも悲しみも大切であるのに、生産や効率の役にたたないからと言って切り捨ててきました。その結果、一面的にしか社会、世界をとらえられなくなり、相手の屈折や影の部分を想像できず、自分達の価値観で押し切ろうとする社会です。それがもたらしたのは、生命、生活の基礎となる生態系の破壊であり、環境汚染です。人間にとって、重要なことは、自分とは違う価値観をもつ他者の存在であり、異質な他者によって初めて見えなかった自分の姿が見えてくるように思います。他者を見失った同質な集団や均質な社会は危ういように思います。

さて、今月28日からは、教会暦の新しい年が始まります。柴の色が用いられるこの期節、イエス様の誕生を迎える準備の期節としての降臨節を慎み深く過ごし、意義深いクリスマスを迎える心の準備の時として過ごしたいものです。

司祭 テモテ 島田 公博
(飯山復活教会勤務)

『8月に思うこと』

8月は、長崎、広島への原爆の投下、そして57回目の終戦記念日を迎え、平和への決意を新たにする月でもあります。
しかし、その決意に逆行する政治状況、あるいは日本国憲法の平和主義に挑戦する復古主義的軍事大国意識が見え隠れしています。そのことは、戦争への厳しい批判を曖昧にした戦争責任意識、独善と甘えの構造と無関係ではないと思う。
敗戦後57年間、四方を海に囲まれ、外敵の侵入機会の比較的少ない島国であるため、平和に経済的繁栄を謳歌する一方、憲法が国民に保障する財産権、平和的生存権などの基本的人権、地方自治が脅かされている沖縄の現実を直視しなければならないと思う。巨大な米軍基地からの出撃により、自らの意に反して他国民を死傷せしめる加害者となっている現状。あるいは、広大な基地と水域、空域が、米軍の管轄下におかれている結果、沖縄の自立的発展に必要な産業の育成を困難にし、県民一人当たりの所得は全国平均の約74%、東京都民の半分以下で全国最下位、さらに失業率は全国平均の2倍である。
日本国憲法の平和主義に関し、1948年2月7日、文部省発行の中学1年生向けの「あたらしい憲法のはなし」、特に「戦争の放棄」の項では、「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのいっさいのものはもたない」ことを意味するとし、さらに以下のように明言しています。「しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行なったのです。世の中に正しいことぐらい強いものはありません」と書かれています。
憲法の平和主義、とりわけ第九条の条章が、日米安保条約と自衛隊が40年以上に及ぶ「既成事実」としてもはや動かし難い重い存在となったかに見える今日、これにどう対処すべきかば、我々にとってきわめて重要な問題である。それは単純な「否」、という対応だけでは、余りに抽象的・非現実的・非生産的だからである。とすれば、憲法の平和主義の原点に立ち返って、これを積極的、創造的に再構築する方途を検討すべきであると思う。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」(イザ2・4、ミカ4・3) この言葉は、日本国憲法第九条、及び平和主義の思想と同じである。巨大な国家に挟まれたパレスチナで、イザヤとミカが語った深化するに足る価値を内在した高い理念である。我々は、預言者が神の啓示を受けて語ったこの理想が、この地上に実現するために祈り、労する「平和を実現する人々」(マタ5・9)となるようにと召されているのである。
「剣をさやに納めなさい。剣をとる者は皆、剣で滅びる」(マタ26・52) と主イエスは弟子達を諭して、自ら十字架の死の道を選ばれました。我々は、主イエスの自己犠牲と献身の御足をたどることによって平和を実現する道が開かれるのではないだろうか。

司祭 テモテ 島田公博
(飯山復活教会勤務)