諸 聖 徒 日

11月1日は、すべての、もろもろの聖である人たちの魂を記念する日という意味で、「諸聖徒日」と言います。亡くなったすべてのキリスト者の魂を記念し、そのために神様に祈る日であり、更に翌日の11月2日は、「諸魂日」と言い、世を去ったすべての人々の魂を記念し、神様に祈る日です。11月を「諸聖徒月」とも言います。
教会では、毎日曜日の礼拝で、亡くなった方々の魂のために、常に神様に祈っていますが、このように、11月は特に亡くなった人々のことを想い、その魂を安らかに休ませて下さるようにと神様に祈ります。ちょうど、我が国のお盆のような時です。
人の死後について、確かなことは誰も知りません。ある人は、何もかも無くなってしまうと考えており、他の人は、肉体は無くなるが、魂は生きていると考えています。共に、確かな証拠はありませんが、大昔から、多くの人々の願い、あるいは、期待、希望として、死後の人の魂は生きていると、信じられてきました。もし、人の死後が何もない、虚無であるとすれば、今、私達は、希望も何もない虚無に向かって必死に生きていることになり、人生は空しいものになってしまいます。また、お葬式やお墓参り、法事、キリスト教の逝去者記念式などは全く無意味なものになってしまいます。
聖書は、この世の務めを終わった人の魂は眠り休んでいるが、やがて最後の時に、命の源である神様の許に行くのであると教えています。

ですから、今、生きている私達は、世を去った人々のために、神様にこの人の魂を受け容れて下さるようにと祈ると共に、私達が生きている間、神様に喜ばれるような充実した人生を送れるようにと、御導きと御守りを祈りつつ、希望を持って生き続けるのです。世を去った多くの人々の魂のために祈りましょう。

司祭 テモテ 島田公博(主教座聖堂付、長野聖救主教会、稲荷山諸聖徒教会、新生礼拝堂主日勤務)

聖フランシスなら、蜂にも説教を?

今年3月まで約10年間、長野県木曽町にある福島教会の管理牧師を務めさせて頂いておりました。ある日の福島教会での聖餐式の説教中、何処からともなく聖堂内を小さな足長蜂が飛び始めました。すると、当然のことですが聖堂内の雰囲気が一変しました。それまでは、私の説教する声だけが静かに聖堂に響き、信徒の方々もその声に耳を傾け、目を合わせる度に心が通い合い、み言葉を共有していることを感じ合える時間でした。しかし、その小さな、小さな蜂の登場で、全てが変わりました。信徒の方々の表情から〝蜂だ!どうしよう。でも、説教中だし…〟という心の声が聞こえ、目を合わせれば、そこには緊迫感と戸惑いにも似た怯えが明らかとなっていました。そして、信徒の方々の耳には私の説教の声ではなく、その私の声よりもずっとずっと小さいはずの、その蜂の羽音の方が遥かに大きく響いていました。信徒の方々だけではなく、説教をしていた私自身にとっても同じでした。全てが、その蜂に飲み込まれました。
み言葉を語り続ける使命と責任の中で逡巡しながらも、私は説教を止め、「蜂がいるので、外に出しましょう」と言うと、聖堂内の緊張感は一気に解け、一人の信徒の方が窓を開け、新聞紙を手に取り、圧倒的な力を持った、その小さな、小さな蜂を窓の外へと押し流しました。蜂が外へと追い出されてからは、再び、聖堂は先ほどまでの落ち着いた雰囲気を取り戻し、私も説教を再開しましたが、私は説教をしながら、かつて、子どもの頃の私自身に、この福島教会の聖堂で起きた出来事を思い出していました。
実は、福島教会は私の母教会でもあり、私は小さな頃から家族に連れられて、聖餐式に参列していました。しかし、
参列と言っても、私は先ほどの蜂のように聖堂の中を飛び回り、祈りの雰囲気を壊し、大変だったようです。すると、ある時、私のその悪行に堪り兼ねた母親が、聖餐式の途中で私を外へ連れ出し、聖餐式が終わるまで、二人でずっと外で過ごしていました。そして、聖餐式の後、母親は祖母へ歩み寄り、こう告げました。「この子は騒がしくて大変ですし、皆さんのお祈りの邪魔になるので、しばらく教会をお休みしようと思います」と。私は母親のその言葉を聞き、幼心にも〝まずいことになった〟という気持ちで身をすぼめ、様子を伺っていました。すると、祖母は母親に、こう返しました。「あなた、何を言っているの?!子どもたちにこそ、神様のみ言葉は必要で、子どもたちにこそ、聖餐式は大切なのよ。だから、次からも子どもたちを教会へ連れてきなさい。そして、聖餐式の途中で子どもたちを聖堂の外へ連れ出す必要はありません」と。祖母のその言葉に、母親はとても驚き、そして、少し安心したように、「はい。そうですね」と返事をしました。事の成り行きを伺っていた当の私は、祖母のこの言葉で、聖餐式というものが祖母や母親、そして、教会の方々にどれだけ大切なものであるのかを一瞬にして悟りました。そして、何よりも、子どもであるこの私自身にとっても…と。
かつて、聖堂から外へ連れ出された子どもの頃の自分自身の姿と、たった今、聖堂の外へと私が追い出すようにと促した蜂の姿とを重ね合わせながら、私はこう思いました。〝小鳥に説教したと言われる聖フランシスなら、あの蜂にも説教したのだろうか?…きっと、したに違いない〟と。
聖フランシスは人間以外の全ての被造物をも兄弟姉妹と呼び、愛し、尊び、それ故、動物と心が通じ合い、小鳥に説教でき、狼を回心させることができたという物語はあまりに有名です。しかし今、祖母の言葉を思い出す時、聖フランシスは、小鳥や狼と心が通じ合っていたから、小鳥や狼が彼の言葉を理解できたから、説教することができたのではないことに気が付きます。
〝全ての被造物には、神のみ言葉による導きが絶対に必要である。それは人間に限らず、人間の言葉を理解できない、人間以外のまさに全ての被造物にも!!である。全ての被造物に神のみ言葉による導きが必要であるのであれば、私は小鳥や狼にでさえも説教する。たとえ、私の話す言葉を小鳥や狼が理解できないとしても、私が語るのは神のみ言葉である。私は神のみ言葉の絶対性と、その偉大な力とを信じる。神のみ言葉であれば、まさに全ての被造物に届く!!小鳥や狼に私の言葉は伝わらなくとも、私の語る神のみ言葉は、絶対に伝わり、そして、神のみ言葉であれば、小鳥や狼も絶対に何かを感じる。だから、私は小鳥や狼に説教するのである。〟彼はこう信じ、小鳥や狼にみ言葉を語り続けたのだと思います。そして、もし、そこに蜂がいれば、蜂にも…。
まさに全ての被造物が神の恵みの中に留まり続け、神のみ言葉の雨を常に浴び続けることこそが大切なのです。私たちはいとも簡単に「子どもたちには説教は分からない」、「子どもたちには聖餐式は難しい」、「退屈な思いをさせるのは可哀そう」と思い込み、子どもたちの居場所を聖堂以外に、子どもたちの耳に届くものをみ言葉以外にしてはいないでしょうか。神のみ言葉と、聖餐の奇蹟は、私たちの理解と想像を超えて、遥かに鮮明に、確実に、思いも寄らぬ形で子どもたちにも届くのです。聖餐式が私たち大人にとって至上の信仰の糧であるならば、それは、子どもたちにとっても当然、同じはずです。しかし、子どもたちには、聖餐式以外の場所が安易に用意されてしまう。その様子を見ながら、こう思います。〝子どもたちが聖餐式から連れ出されるのは、本当は誰のため?退屈している子どもたちのため?それとも、静かに礼拝をしたい私たち大人のため?〟と。
主イエスが大人たちの中心で、子どもを抱き上げ、祝福されたように、聖餐式においても常に子どもたちが中心であり、〝子どもたちが居ていい場所、いるべき場所〟になるように祈っています。

下原太介(主教座聖堂名古屋聖マタイ教会牧師・名古屋聖ヨハネ教会管理牧師)

呼ぶ声の向こうに

結婚式の前にオリエンテーションが行われ、お二人とお話しする機会があります。二人が案内されてやってくるまでの時間、いまでも緊張します。事前にもらっている結婚申し込み用紙から「こんな人たちかな」と考えるのですが、それがかえって想像を膨らませ余計なフィルターをかけてしまいます。挙式の写真を取るカメラマンは、撮影の前に二人の印象や余計な情報は聞きたくないと言います。これから撮る写真を「そのままの二人や家族」として撮りたいからだそうです。私もそれを見習いたいと思いたいのですが、二人に初めて会う前に余計なことを考えてしまいがちです。でも二人の方こそ緊張しながらやってくるのです。彼らと私の互いの緊張が少しずつ溶けて、リハーサルが終るころには挙式に向けて進むことができた喜びの笑顔があると少しホッとします。以前、毎日のように病院で患者さんのところへ行ってお話を聴いていた時もよく似た緊張感がありました。痛みを繰り返して調子が悪くなっていませんように、リハビリでくたびれていませんようにと願いながら病室を訪ねます。事前に病状をナースから聞いていても、時間を見計らったつもりで訪ねても何度も断られると、さすがに気持ちがへこみます。病院内の会議の忙しさや眠っている患者さんを起こしちゃいけないと理由をつけて病室の前を通り過ぎることもありました。そんなとき「病院の牧師さんですか?」と言われてハッとします。そしていまも挙式後、新郎の挨拶で「司祭様やスタッフの皆さんに感謝します」と言われて、ハッとして「そうだった」と気がつかされます。自分がここにいることの意味を改めて教えられるのです。イエス様がティルスとシドンの地方に行かれたとき(マタイ15章21節)カナンの女が「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」と叫びます。娘を癒してほしいと願う声にイエス様は「私はイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」「子どもたちのパンをとって子犬にやってはいけない」と差別とハラスメント満載の言葉で退けます。当時の時代、社会はこの様なものだったかもしれません。でもそれは、私が自分に理由をつけたことと同じで悲しくさせる言葉です。イエス様も疲れていて、気持ちの中に溜め込んでいたかもしれません。イエス様の歩みは、確かに私たち以上に孤独でした。教えても理解されず、故郷ナザレでも家族から信頼されません。だから羊飼いが必要のない、イスラエルの失われた羊がいない遠くの地方まで来たのでしょうか。しかしそこで「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけられるのです。イエス様が救い主として神の子としてこの世におられる中で、人々から叫び求められる声の中で、イエス様はこの呼びかけをずうっと求めておられたのではないでしょうか。その求める声以上に、イエス様も私たちに呼びかけていたのです。イエス様も私たちを求めておられるのです。私たちはイエス様が私たちの「主」となるために、「ごもっともです。しかし、主よ」としがみつくように叫び求めていきたいと思います。その向こうにイエス様が待っておられるのですから。

司祭 マタイ 箭野直路(旧軽井沢ホテル ホテル音羽ノ森チャプレン、軽井沢ショー記念礼拝堂協働司祭)

神の国は静かに

イエス様は神の国のたとえで、「神の国は人が知らないうちに成長する」と言っておられます。蒔かれた種が地中でどのように成長するか人には分からないが、芽を出し、穂を実らせるように、神の国は目にも見えず、耳で聞くこともできないが間違いなく成長しているのだと言われます。神の国(神様の働き)は深く、静かに進行するということです。
先日、I教会で、あるご夫妻の洗礼・堅信がありました。奥様はそこの幼稚園出身でキリスト教には長い間、関心を持っておられましたが、ご自分の家が仏教ということもありなかなか入信にまでは踏み切れないでいました。しかし、この度、決心をされご夫妻で入信されたのです。
礼拝後の挨拶の時、「ここまで来るのに長い時間がかかりました」と言っておられました。そして人間的に見れば幼稚園の時から50年という長い時を経て洗礼へと導かれたわけですが、そこにはこのご夫婦に対して深く、長く、静かに関わってくださり、このお二人を洗礼・堅信へと導いてくださった神様の働き(神の国)があったのです。
また、最近、I司祭のお連れ合いであるSさんのお父様が洗礼を受けられました。Sさんがお父さんに、「お父さん、お父さんは洗礼を受けてクリスチャンになったんだよ」と言いましたら、お父さんが、「そうかい。でも、実感がないな」と言われたそうです。とても微笑ましい会話なのですが、実はそこにも神様の静かで確かな働きが隠されているのです。
洗礼を受けてクリスチャンにされたからといってその瞬間にそのことを実感する人はそう多くはないと思います。殊に、幼児洗礼の場合は実感も何もないでしょう。乳児には洗礼を受けているという意識すらないのですから。わたしも洗礼を受けた時、緊張したことは覚えていますが、その瞬間に人が変わり、わたしはクリスチャンになりましたという実感はありませんでした。多少の違いはあれ、皆さんそうでしょう。
では、実感がなければクリスチャンではないのかと言いましたらそんなことはないのです。神様の働きは深く、静かで確かなものです。人間の目にも見えず、耳にも聞こえず、感じることもないかもしれません。しかしわたしたちは洗礼によって間違いなく神様とイエス様に結び付けられるのです。確かにクリスチャンとされるのです。I司祭のお連れ合いのお父様は実感はないかもしれませんが間違いなくクリスチャンとされているのです。そこには人間の感覚を超えた神様の静かな働きがあります。
わたしたち人間は神様の御心をすべて知ることはできません。神様だけが知っておられて、人間に分からないことがたくさんあります。それでもいいのです。神様のことがすべて分からないということは、逆に恵みではないかとわたしは思います。もし、人間が神様のすべてを知ったらどうなるのでしょうか。考えてみると恐ろしいことです。神様が知っていてくださればそれで十分なのです。
神の国は静かに、しかし確かに成長しています。I教会のご夫妻の場合、神の国は50年間、静かに成長して来ました。I司祭のお連れ合いのお父さんはもっと長い時間がかかりました。それでも間違いなく神様の働きは深く静かに潜航し、今日の洗礼・堅信になっているのです。わたしたちはそこに神の国の成長を見るのです。
神の国は今もどこかで、いや、わたしたちのすぐ近くで静かに成長しているのです。神様は次にどんな素晴らしい神の国を見せてくださるのか、そんなことを期待しつつ送る信仰生活は何と楽しいものでしょう。
主教 ペテロ 渋澤一郎(日本聖公会中部教区主教)

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

 「父と子と聖霊」の三位一体の神様というのは、わかりにくいかもしれません。日本聖公会では、「聖三一」と呼ばれることもあり、中部教区では岐阜県にある可児聖三一教会はこれに由来しています。教会は、この「聖三一」の神様を教理の発展のなかで信じてきました。日本ハリストス正教会では、アンドレイ・ルブリョフが描いた、アブラハムを訪ねる三人の天使(『創世記』)に拠る聖画(下の絵)が、唯一正当な図像表現として公認されているそうです。また、聖公会神学院にもこの聖画があり、いまも黙想のときに用いられたりしていると思います。アウグスティヌスは、聖三一の関係を「言葉を出すもの」父、「言葉」子、「言葉によって伝えられる愛」聖霊という類比によって捉えました(『三位一体論』)。三者はそれぞれ独立の相をなしつつ、一体として働き、本質において同一であると考えています。これが、西方神学における三位一体理解の基礎となります。

 しかし、神様が「三つであるが一つであり、一つであるが三つである」というのは、理解する対象ではなく、信じる対象としての神秘であるとも考えられています。これが現代まで守り続けているのは、「頭で理解できたこと」よりも、「体験によって感じたもの」であるからだとも思います。例えば、私たちは、よく「主の祈り」を唱えます。これは「聖三一」の神をよく表しています。「主の祈り」は、祈り方がわからない弟子たちに、イエス様が直接教えた唯一の祈りであり、イエス様も神様に向かって用いていた祈りです。子なるイエス様が、父なる神様に祈った祈り、これを、私たちのうちにある聖霊によってお祈りする、これが「主の祈り」の大切なところであると思います。

 神様は私たちを無条件にまず愛していて、これがこの世界の根本だと思います。神様は私たちへの愛を示すために独り子であるイエス様をお遣わしになりました。そして、その神様から遣わされたイエス様の無条件の愛に対して私たちが「はい」と答えたとき、私たちは真に神様の子どもになれるのです。今まで眠っていた私たちのうちにある聖霊が活発に動き出していき、私たちは真に神様の子どもとなり「主の祈り」を唱えます。

 確かに現実はつらい状況もありますし、試練を抱えてはいますが、イエス様から「神様はあなたのことが大好きだよ」「そのことを信じますか」と呼びかけられて、私たちのうちにある聖霊によって「はい」と答えるというのが、聖餐式の大きなよろこびであり、ここに、私たちは、「三つであるが一つであり、一つであるが三つである」神様を感じることができるのではないでしょうか。そして、私たちが、「主の祈り」を唱えるとき、私たちが一人ではないこと、「いつもあなたがたと共にいる」神様をも感じることができると思います。

石田雅嗣(松本聖十字教会牧師)

た だ い ま

4月より新潟聖パウロ教会へ赴任し、イースターに続いて牧師任命式が行われました。礼拝のはじめ、主教の前に信徒代表の方と共に立ち、信徒さんからの「支持します」との声に励まされました。新潟聖パウロ教会は、聖職志願をした後、神学院卒業と同時に旅立った場所です。

10年ぶりに帰ってきた夫と私を温かく迎えてくださる方々。その間に亡くなられた方々のご家族と故人を偲び語り合う思い出。10年前に教会に来られた方の中には高齢のため礼拝に出席することが困難である方々も増え、これから再会できるのが楽しみです。

教会の隅々に10年前、5年間働いた丁胤植司祭の様々な足跡が残っていて不思議な気持ちです。信徒訪問をする前に、丁司祭に聞くと10年前のノートを取り出し、信徒訪問をした時の記録を見ながら家族関係や共にしたお祈り、励ましの言葉を教えてくれます。
有志の信徒さんと話す時は、10年前の思い出話もたくさんあり、「神学院に行く前のこと」も思い出しながら話をする機会も多い中、故レア永井志保子さんが思い出されます。

新潟聖パウロ教会へ牧師として赴任した夫は、主日礼拝の準備や説教、牧会などで充実した日々を過ごしていました。「ソンちゃんは若いのに、ご両親と離れて友達も少ないから大変」といつも声を掛け気に留めてくださる方でした。名古屋にいる時は手話を学んでいたと話すと新潟の手話教室の情報を教えてくださり、教会へ訪ねて来る悩み多い若者のことで相談をすると、「夫が癌で亡くなってから病院でボランティアをしていた」時のことや「いのちの電話」相談員をしてきた時の経験を聞かせ、励ましてくださったのでした。

日本の美味しい食べ物や素敵な文化もたくさん教えてくださり、今も「麦とろご飯」、「赤カブの漬物」を食べる時は永井志保子さんを思い出します。ご自分は生まれながら片方の血管が細くて、塩分を控えて漬物を食べないのに、沢山作って教会に持ってきて分け与えてくださる姿に憧れていました。

10年間引きこもった一人の若者との出会いもあって、教会を訪ねる人々へ何か役立つことはないか探していた時、カウンセリングを学ぶことを考えていたら、夫は私が結婚前より神学を学んでみたいと語っていたこともあって、聖職志願の道を応援してくれました。
今までの10年間も色々知らないことがたくさんあり、悩む人の前で何もできず落ち込むこともたくさんありましたが、教会と病院での日々は永井志保子さんが見せてくださった姿を思いながら歩んだものでした。

夫を亡くし、母親の世話、離れて過ごす娘さんたちのこともありながら、ボランティア活動や教会の会計、教会の人々への世話など、血管が細くいつかは歩けなくなる日が来ると、書道や縫物など受けるより与えるが幸いとの生き方を教えてくださった永井志保子さんはじめ、多くの方々より頂いた愛情を心に留め、一緒に祈り、人々と交わり、共に生きる人々が神様の愛に結ばれている信仰共同体、その中の一人であることが本当にありがたいです。

永井志保子さんだけではなく、神様を愛し、愛され、結ばれている人々と共に集い、祈り、分け与えて来られた方々の仲間に入れさせて頂きたいと思います。主に感謝。

司祭 フィデス 金 善姫(新潟聖パウロ教会牧師)

「行っていらっしゃい」、「ただいま~、お帰り~」

3月末、長野県から新潟県に移りました。4月6日現在は新潟聖パウロ教会の司祭館に荷物を解き、片づけているところです。住まいは新潟で、管轄は三条聖母マリア教会・長岡聖ルカ教会、そして聖公会聖母こども園にチャプレンとして関わっています。

10年ぶりに入ってみた新潟の教会ですが、「あーそうだ。おもにこの部屋を事務室として使っていたし、ここにはあれそれが置いてあった」というような記憶がもどってきます。そして私の跡がそのまま残っているところがあって、一方では不思議感まで漂います。これから新潟の信徒さんに徐々にお会いできる機会があると思いますので、また楽しみにしています。

4月の最初の主日は三条で復活日礼拝を献げ、イエス様のお墓に向っていた婦人たちが「誰があの大きな石を転がしてくれるだろう」という話をしていたところについて説教をしました。それは単純なお喋りではなく「主よ、石の扉を開けてください。そして墓から出てきてあなたの教えていた通り自由を生きてください。そしてわたしたちもその自由を生きることができるようにしてください」という祈りではなかったのかな~という話をしました。そして普段日常の中で心を分かち合っていた信仰の仲間たちが一緒に祈ることによって力を合わせていたことを意味するということだろうとメッセージを伝えました。人間誰だって心に大きな石を抱えているはずだから、もし私が皆さんに「そこの誰か石を転がしてください」と叫ぶ時は是非耳を傾けて欲しいですし、皆さんも「そこのだれか石を転がしてください」と叫ぶ時には私も応えられる、そういう関係をつくっていけたら嬉しいと言いました。

長岡聖ルカ教会は今度の主日に行く予定ですが、樋口正昭さんと連絡を取りながら信徒さんの安否や牧師館の使用不可状況の話、そしてベストリーの屋根の修理について情報を得ています。皆さんと一緒に礼拝を献げて、長岡教会の方々が今まで手を合わせて祈ってきたことについてその悩みを分かち合うことから始まる長岡での主日を期待しています。

三条聖母マリア教会の集会室に信徒の西川愛子さんがお描きになった和画が掛けられています。広い草原に一人の少女が草場に座って、鳥かごの中から小鳥たちを出して自由に放ってあげている絵です。少女が座っている草場にはクローバーがいっぱい生えていてそのクローバーは白やピンク色のお花を咲かせて単純な緑ではなく他の種類の草も細かく描かれています。絵の中の少女の顔からは小鳥を自由に放ってあげることによる喜びの表情だけではなく、小鳥たちとの別れを寂しく思うような表情も感じられます。小鳥たちも少女から離れることに未練が残っているのか、少女の肩に座っている小鳥や少女の手のひらから離れない小鳥もいます。

しかし、もうすぐ小鳥たちは青い空に向けて飛んでいくでしょうし、少女とは別れなければなりません。長野を去る時に長野の方々が渡してくださった挨拶はサヨナラではなく、「行っていらっしゃい」でした。小鳥を放して飛ばそうとしている少女の心は、小鳥たちの旅立ちを応援するとともに名残惜しさも多くあったかと思います。その心を受けて新潟に着いた私は、主において兄弟姉妹となった新潟県の信徒の方々の心の扉の前に立って「ただいま~」と声を上げてみます。絵の中の上の部分に教会が見えますが、遠くから「お帰り~」という声が聞こえてくるような気がします。
司祭 イグナシオ 丁 胤植(三条聖母マリア教会・長岡聖ルカ教会牧師)

いのちのエネルギー

聖職に叙任されて以来、長く学校での勤務を経験してきました。一般の教会と異なり、周囲のほとんどの人がいわゆる「クリスチャン」ではない環境の中で、なるべく教会用語を用いずにキリスト教の内容を伝える、説明する、という訓練を知らず知らずに受けてきたような気がしています。これは私にとって「世界のあらゆるところに神を見出す」ということでもありました。

その中で、「復活」という概念は非常に誤解されやすいという印象を持っています。一言で言うなら、「死んだ人が生き返る」というところで終わってしまうことが多いのです。しかし、キリスト教が伝える「復活」や「復活の命」は、それと同じではありません。いろいろな方のご葬儀に際して思うことは、亡くなった方が「生き返る」ということが起こらないとしても、そこには確かに「復活の命」があるのだ、ということです。肉体に拘束される生物学的な「命」ではなく、神から与えられた「いのち」としてのわたしたちの受け止めが「復活の命」なのです。これを説明するよすがとして、「いのちのエネルギー」という言葉に、誤解を恐れずこのイメージを託してみたいと思います。

神学生時代、バングラデシュのテゼ共同体を訪問し、そこでいろいろな出会いを経験しました。特に今でも強い印象を持っているのは、ブラザー達が支援しており、現在もJOCS(日本キリスト教医療協力会)がワーカーを派遣している、障害者コミュニティセンターでのことです。

ある日、派遣ワーカーの岩本直美さんに同行して、センターに関係する子どもの家庭を訪問しました。ある男の子は重い知的障害を持っており、おそらくほとんど会話はできなかったと思います。しかし、たった一回彼の家を訪れただけの私でも、立ち去るのが悲しかったらしく、真っ裸で道に出てきてオイオイ泣いていました。今でもその姿を思い出すたびに、彼のうちに宿る「いのちのエネルギー」に励まされています。

センターでは、障害を持った女性のグループが立ち上げられたところでした。その一人の女性タフミナさんは、カレッジ在学中に婚約もしていたのですが、骨結核を発症して歩行が不自由になり、婚約も解消されて学校も中退し、引きこもりがちに過ごしていました。利用者としてセンターに関わりを持った彼女に、実はカウンセラー的な賜物があるとみた岩本さん達は、彼女をセンターのスタッフにして、この女性グループの担当者としました。先日、この女性グループを支援するための「井戸ばた基金」の案内に、グループのリーダーとしてタフミナさんのお名前を見た時、彼女の内なる「いのちのエネルギー」を認め、そして彼女をここまで支え励ましてきたスタッフの働きに、そして神さまに心から感謝しました。

「復活の命にあずかる」とは、神さまの「いのちのエネルギー」が世界のあらゆるところを満たしていること、そしてこのわたしのうちにも、神さまはその「いのちのエネルギー」を豊かに与えてくださっていることに気づき、それを信じることだ。この方々は、私にそのことを教えてくださいました。

※「井戸ばた基金」については、idobatakikin@gmail.comにお問い合わせください。
市原信太郎(東京教区出向)

父権制を再生産する共同体

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。(ガラ3・28)」
 「父権制を再生産するような共同体には所属したくありません。教会は外の差別に取り組むより先に、自分たちの中の差別にしっかりと向き合うべきです」

この言葉は、ある洗礼堅信準備会の中で、女性差別などが教会の中に根深く横たわっていることを認識していながら、しっかりと向き合わず、「なかなか変わることが難しいんですよ」と、なあなあで済まそうとしたわたしの発言に対して投げかけられたものです。

全くその通りです。「イエスさまの語られた福音は、人々を解放するのです」と語りながら、父権制を始めとする様々なしがらみに絡め取られ、解放されずに再生産する共同体がわたしたちの教会のようです。そこから解放されている人が、わざわざ不自由な共同体に加わりたくないと感じるのは、当たり前のことです。

最初に引用したガラテヤの信徒への手紙3章28節は、初期の教会で使われていた「洗礼定式」です。初期の教会共同体がイエスさまが告げ知らせた福音を信じて生きることで、民族、身分、性別といった、人々を分け隔てる主な境界線を乗り越え、平等で包括的な信仰共同体を実現する決意がここに表現されています。

新共同訳聖書ではその違いが訳出されていないのですが、この洗礼定式の民族、身分、性別の組み合わせで、最初の2つは、「AもBもありません」という形ですが、3つめの性別は「男と女もありません」となっていて、性別に関しては単純な並列ではないことが分かります。
「男と女も」の箇所で使われているのは、「雄」「雌」というギリシャ語で、「男と女もありません」は「男・雄と女・雌」で「一対」という概念をも乗り越える姿勢を表しているのです。この洗礼定式は、様々な境界線を越えて平等な関係で共に生きようとする決意を表明し、特に性別による境界線だけでなく、「男と女で一対」という思い込みを放棄し、父権的な家庭形成から解放されることを目指していたのです。当時の父権社会の中で弱者だった女性たちにとって、結婚し、子どもを産まなければ価値がないという圧力からの解放が宣言されていたのです。

ところが、ガラテヤ書ではこの「洗礼定式」が引用されたにもかかわらず、コリントの信徒の手紙Ⅰ12章13節の引用では、「男と女も」の組み合わせは除かれてしまっています。さらに、1世紀末の擬似パウロ書簡である「テモテへの手紙一」2章15節では、
「しかし婦人は…子を産むことによって救われます」という父権制的な教えが記され、最初期の教会では解放されていた歩みが、後戻りをして再生産されて現在に至ってしまったのでしょう。

そろそろ、しがらみの再生産から抜け出し、イエスさまの宣べ伝えられた、平等で包括的な福音によって解放されないと、教会は誰も寄りつかない、中の人間は身動きのとれない不自由な共同体として閉じられてしまうのではないでしょうか。洗礼堅信の準備をしながらそんなことを考えさせられています。

後藤香織(名古屋聖マルコ教会牧師・愛知聖ルカ教会牧師・可児聖三一教会管理牧師)

フランシス江夏一彰師、司祭に叙任

「支持します」。会衆の力強い声が聖堂内に響き渡り、心が震えました。2017年12月16日、フランシス江夏一彰執事の司祭按手式が渋澤一郎主教の司式により長野聖救主教会において温かくも厳粛に執り行われ、中部教区内外より100名を超える参列者が集い、新司祭誕生の喜びを分かち合いました。江夏新司祭の勤務教会である軽井沢ショー記念礼拝堂とゆかりの深い聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂聖歌隊メンバーによるアンセムと、中村勝・千恵子ご夫妻によるビオラとオルガンの演奏が按手式に花を添えました。説教者の中尾志朗司祭は「司祭職は自分の思いだけでは担えない。多くの人々、特に家族の理解と支えに感謝の気持ちを忘れないでほしい。また、今まで以上に苦労や誘惑も多くなると思うが、すべてを一人で抱え込もうとせず他の聖職に相談してほしい。」とユーモアを交えながら励ましの言葉を語られました。

私は推薦司祭として参列しましたが、改めて強く気付かされたことがあります。それは、聖職按手式で主教の問いかけに対して「支持します」と応答するとき、なぜいつも胸が熱くなるのかということです。10年以上にわたり軽井沢で共に歩んできた江夏執事の司祭按手式であったこともあり、特に強く感じたのかも知れません。私たちは何を根拠に聖職に按手される人を支持すると言えるのでしょうか。その人の持つ優れた才能でしょうか。豊かな学識でしょうか。あるいは温かな人柄でしょうか。それらのものはあるに越したことはありません。しかし、それらのものを根拠に支持するのであれば、当然支持しないという応答もあり得るでしょう。そうではなく、私たちが聖職按手式で「支持します」と確信を持って応答できるのは、それらのものを超えて神さまの御心が実現されることを信じるからに他なりません。神さまが今按手される人を用いてご自身を顕そうとされている、その恵みの場に立ち会っている私たちには「支持します」と言う以外の応答は考えられないのです。そこには圧倒的な神さまのご意志と導きがあります。

江夏新司祭は特任聖職(教区・教会から給与を受けないで職務を行う聖職)を志し、2012年9月に執事按手、以来平日は医療者として東奔西走し、日曜(多くの土曜も)は教会や地域において執事の務めを果たしてきました。その有能で誠実な人となりは改めて紹介するまでもないでしょう。何より江夏司祭がその豊かな賜物を用いて、神さまのご栄光をますますこの世界に現すことができますように、そして恵みに溢れた聖職按手に導かれる人が神さまの御心によって増し加えられますように祈り求めて参りたいと思います。

土井宏純(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師、稲荷山諸聖徒教会管理牧師)