太平洋戦争で国内唯一の地上戦を経験した沖縄。
沖縄に行って、見て、一緒に考えるツアー。
名古屋学生青年センターでは、日本聖公会中部教区との共催で、沖縄へのスタディツアーを企画し、1988年から、夏に沖縄を訪問しています。
このツアーでは、沖縄戦戦跡や米軍基地をめぐり、いろいろな人々との出会いと交わりの機会を提供してきました。このツアーを通して、沖縄の美しい自然に心を留め、文化に触れ、豊かな沖縄を体験したいと思います。また、基地に囲まれた沖縄の人々の痛みや叫びに耳を傾け、「戦争と平和」について学び、肌で感じ、私たちの暮らしや生命の大切さについて考える機会にしたいと思います。
参加者募集のお知らせや、前回までの報告レポートは「募集と報告レポート」をご覧ください。
主なプログラム | 米軍基地・戦跡めぐり、沖縄の歴史・文化についての学びなど。 |
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日程 | 8月(3泊4日) |
参加費 | 8万円~9万円 出発時期により変わります。 航空券、沖縄県内移動費、宿泊費、旅行保険料、プログラム費を含みます。 |
ガイダンス | 事前に学習会や旅程の説明会をします。 |
“沖縄に学ぶ”こと
「命どぅ宝」、平和を愛する沖縄の人々が心に刻んでいる大切な言葉です。そして、あきらめない信念。今沖縄で起きているさまざまな出来事は、やがて本土に住む私たちの地元にもやってくるのではないでしょうか。このスタディツアーで、沖縄で学んだことを、自分たちの生活の場でどのように生かしていけばいいか、沖縄に学びながら、私たちの日常において正義と平和への取り組みを深めるための機会として、このスタディツアーが用いられることを願っています。
沖縄戦について
1945年、敗戦直前の日本は、できるだけ本土決戦を引き延ばし、国体護持のため有利に戦争を終決させようとして、沖縄を本土防衛の砦としました。本土決戦の準備が整う(長野県に松代大本営を構築する)までの持久戦、捨て石作戦として戦わせたのです。それが、悲惨を極めた沖縄戦の原因でした。
同年3月23日の米軍による沖縄本島の攻撃に始まる長く苛酷な戦闘は、5月末の沖縄守備隊の壊滅、6月23日の牛島司令官自決により組織的戦闘が終了しましたが、その後も、集団死に追い込まれるような極限状態が9月まで続きました。頼りの日本軍は住民を守らず、また皇民化教育や戦陣訓により、住民は米軍に投降することも許されなかったのです。9月7日の沖縄戦公式終決までの半年もの間、軍隊と共に多くの住民が激しい戦闘の中に置かれ続けました。そして、県民のほぼ4人に1人、約12万人が生命を失うという悲惨な犠牲が強いられました。
戦後、生き延びた人たちも、米軍の23年間の占領統治、そして日本への復帰から今日まで必死に生きて来ましたが、定年退職し、ゆっくり時間ができてから、戦争体験者の4割の人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、今も沖縄戦に苦しんでいます。
米軍基地について
集中する米軍基地、あとをたたない事件・事故
戦後は米軍の占領下に置かれ、県の面積の約11%を基地によって占められており、日本全体の米軍専用施設の70%が沖縄に集中しています。そして、基地があることが県民の生活に重大な影響を与えています。ベトナム戦争、湾岸戦争、9・11以降のアフガン攻撃・イラク戦争には米軍基地から戦闘機が飛び立ち、帰還しています。また、基地周辺では、米兵による事件・事故があとをたたない状況が続いています。
1959年6月30日、死者18名、重軽傷者210名を出した宮森小学校米軍ジェット機墜落事故、2004年8月13日には、沖縄国際大学本館(宜野湾市)に米海兵隊所属ヘリコプターが墜落炎上、2016年12月13日には、名護市東海岸に米軍オスプレイが墜落するという重大な事故が起きました。米軍が事故を起こすと、すぐに米軍により規制線が張られ、自治体の首長も警察も立ち入ることが禁止され、その場所が突如、日本の法律の適用外になってしまう異常事態となります。また、2017年10月11日、米軍普天間飛行場所属の大型ヘリコプターCH53Eが、高江民有地に不時着、炎上。12月7日、普天間飛行場に隣接する宜野湾市内の保育園の屋根で、米軍機の部品とみられる円筒状の物体が発見され、12月13日には、普天間飛行場に隣接する市立普天間第2小学校の運動場に、米軍大型ヘリコプターCH53Eから窓枠が落下。一番近くにいた児童とは約10mの距離でした。2018年に入っても、米軍機が不時着するなど事故やトラブルが続発しています。
米軍は、米国内では到底許されない住宅地近くの訓練を、人が住む島沖縄で平然と繰り返しています。これに対して、日本政府も米軍に対して真剣に抗議をするどころか、支持さえしているように見えます。
「辺野古移設/新基地建設ノー」の取り組み
1995年米兵による少女暴行事件をきっかけに、1996年日米両政府は沖縄にある米軍基地の整理縮小を検討し、「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」報告に合意しました。この合意には11施設、計約5000haの返還が盛り込まれました。返還するにあたり、代替施設を作るという条件です。古くなった基地を返還して、最新鋭の基地を作るという、基地の機能としては、より強固なものになるということです。
このSACO合意により、普天間飛行場の全面返還を目ざし、移設先の候補に名護市辺野古沿岸が浮上し、2005年には日米再編協議の結果、辺野古沿岸案が合意されました。キャンプシュワブ南の辺野古沿岸部から大浦湾一体に、軍港の付設も予想される、最新鋭で巨大な軍事要塞基地の建設が計画されました。
1997年辺野古の人たちによって「命を守る会」が結成され、辺野古の海に新基地を造らせないための座り込みが開始されました。同年には名護市民投票が行われ、新基地建設に対して過半数が反対の意志を示しました。
これまで沖縄県民は幾度も、米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対を表明し、県民大会を開催。多くの県民がこの大会に参加し、全国各地や海外でもこれに連動したデモが行なわれました。県議会や市町村議会でも意見は一致しています。
2014年には名護市長選、同市議選、沖縄県知事選、衆院選沖縄選挙区の全てで「辺野古移設/新基地建設ノー」の沖縄県民の強い意志が示されました。しかし、仲井眞前知事が公約を反故にして認めた公有水面埋め立て承認を盾に、辺野古新基地建設のためのボーリング調査は粛々と強行され、キャンプシュワブのゲート前での抗議行動への弾圧や不当逮捕、海上での海保(海上保安官)による抗議行動への暴力が続きました。
2016年12月には、最高裁の判決が出て、辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した沖縄県知事側が敗訴しました。翁長知事はあらゆる県知事の権限を行使して阻止すると表明しています。その後も政府によって辺野古新基地建設工事が押し進められています。キャンプシュワブゲート前には機動隊、海では海上保安庁によって、工事を止めたいと座り込み抗議活動する人々への暴力的な強制排除が毎日行われています。沖縄の人々が「辺野古移設/辺野古新基地建設ノー」と何度も何度も表明しているにもかかわらず、政府はまったく聞く耳をもたず工事を進めています。
2005年秋、辺野古沖ヘリポート基地建設を阻止し、案を撤回させた沖縄住民、そして全国から駆けつけた人々が、今も新基地建設反対・阻止行動を続けています。
高江地区でのオスプレイパット建設
沖縄島北部・国頭村との境にある東村高江は人口約150余名の小さな集落です。ヤンバルと呼ばれる豊かな森に囲まれた地に、2007年7月から防衛局がオスプレイパッド建設工事を強行着手しました。この地域には米軍の北部訓練場があり、不要になった北半分の土地を返還する条件として、その場所には既に10ヵ所のヘリパッドがあるにも拘わらず高江区を囲むように6ヵ所のヘリパッド建設が持ち上がりました。オスプレイの配備が疑われ、高江区では2度の建設反対決議をし、住民への説明を求めましたが、政府はオスプレイについて、配備の事実を隠していました。
2008年には、国は抗議活動する高江住民15人を通行妨害で訴えました(中には現場に行ったこともない子どもまでが含まれていました)。司法が住民の正当な抗議活動を弾圧するために利用されたのです。
2016年秋の参議院選翌早朝、全国から機動隊500名以上が動員され、建設反対に集まっている人たちが強制排除されました。また、反対活動の一人は、軽微な余罪で5か月も拘束されました。2017年6月成立した共謀罪による住民弾圧がここでは前倒しで既に実施されているのです。これらは、国連人権理事会の報告で日本での表現の自由に関する人権問題として指摘されています。
2016年12月オスプレイパッドは表向き完成し、米軍に引き渡されましたが、杜撰な工事と、オスプレイ訓練による環境破壊が益々深刻になっています。
投入される私たちの税金
1978年から始まった「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)は、2014年度で1,848億円でしたが、これとは別に、基地周辺対策費など1,808億円、沖縄に関する特別行動委員会関係費120億円、提供普通財産上資産(土地の賃料)1,660億円、米軍再編関係費890億円、基地交付金384億円、合計4,862億円が米軍に対して支払われています。米軍海兵隊のグアム移転費はさらなる負担となります。なぜ米国にある米軍基地にも私たちの税金が投入されるのでしょうか。2016年3月31日、衆参両院で在日米軍の駐留経費を日本で負担する「思いやり予算」の特別協定が可決され、今後5年間、日本は米軍に9,465億円支払うことを決めました。私たちが納める税金が、戦争につながる経費に投入されるのです。今緊急で必要なのは、東日本大震災、原発事故、熊本・大分地震などで被災している方々への支援ではないでしょうか。