岡谷聖バルナバ教会が文化庁の有形文化財として登録されました

去る、11月16日(金)長野伝道区岡谷聖バルナバ教会が文化庁の有形文化財として登録されました。

教会の礼拝はどなたでも参加いただけますが、今回の文化財登録に関しての一般公開は

12月22日(土)午前10時~午後4時を予定しております。

詳しくは岡谷聖バルナバ教会までお問い合わせください。

万が一じゃなく、二分の一

この表題は「がん検診の受診」を奨励するテレビの広告キャンペーンの文言です。夫婦がテニスをしていて、夫が「万が一、がんになったら」と言うと、妻が「万が一じゃなく、二分の一」ときっぱり言うのです。
今の時代、2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんで亡くなります。そういう意味でがんは普通にだれもがかかる病気と言えないこともないのですが、ではわたしたちが平常心でがんと向き合えるかと言いますとなかなかそうはいきません。また、簡単に治る病気かと言いますとそうでもありません。手術や薬で一応治療が終わっても何年間は様子を見なければならないとか、なかなか気が抜けない病気ではあり、その辺がやっかいなところです。

わたしの身近にも何人かの方々がおられます。皆さん治療を受けながら力強く(頑張って)、前向きに日常生活を送っておられます。そんな皆さんに心からエールを送ります。

誰もが病気にかからなければ本当にいいのですが、人間である以上そうもいきません。先日亡くなられた俳優の樹木希林さんは〝病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ〟と言っておられたそうですが、本当にそうだと思います。病気は悪ではもちろんありませんし、人生のマイナスでもありません。

イエス様は目の見えない人には〝神の業が現れるためである〟と言われ、重い皮膚病の人には自ら触れて癒されました。そのようにイエス様はわたしたちの病に深く、積極的に関わってくださり、励ましと癒しを与えてくださるのです。そんなイエス様が見守っていてくださることを覚えたいと思います。

ただ、「万が一ではなく、二分の一」です。検診はちゃんと受けましょう。

諸 聖 徒 日

11月1日は、すべての、もろもろの聖である人たちの魂を記念する日という意味で、「諸聖徒日」と言います。亡くなったすべてのキリスト者の魂を記念し、そのために神様に祈る日であり、更に翌日の11月2日は、「諸魂日」と言い、世を去ったすべての人々の魂を記念し、神様に祈る日です。11月を「諸聖徒月」とも言います。
教会では、毎日曜日の礼拝で、亡くなった方々の魂のために、常に神様に祈っていますが、このように、11月は特に亡くなった人々のことを想い、その魂を安らかに休ませて下さるようにと神様に祈ります。ちょうど、我が国のお盆のような時です。
人の死後について、確かなことは誰も知りません。ある人は、何もかも無くなってしまうと考えており、他の人は、肉体は無くなるが、魂は生きていると考えています。共に、確かな証拠はありませんが、大昔から、多くの人々の願い、あるいは、期待、希望として、死後の人の魂は生きていると、信じられてきました。もし、人の死後が何もない、虚無であるとすれば、今、私達は、希望も何もない虚無に向かって必死に生きていることになり、人生は空しいものになってしまいます。また、お葬式やお墓参り、法事、キリスト教の逝去者記念式などは全く無意味なものになってしまいます。
聖書は、この世の務めを終わった人の魂は眠り休んでいるが、やがて最後の時に、命の源である神様の許に行くのであると教えています。

ですから、今、生きている私達は、世を去った人々のために、神様にこの人の魂を受け容れて下さるようにと祈ると共に、私達が生きている間、神様に喜ばれるような充実した人生を送れるようにと、御導きと御守りを祈りつつ、希望を持って生き続けるのです。世を去った多くの人々の魂のために祈りましょう。

司祭 テモテ 島田公博(主教座聖堂付、長野聖救主教会、稲荷山諸聖徒教会、新生礼拝堂主日勤務)

ヨハネいきいきサロンが瑞穂区社協だよりに掲載されました!

瑞穂区社会福祉協議会発行の社協便り「みずほっと」22号に名古屋聖ヨハネ教会・いきいきサロンが掲載されました。地域に根差した活動が認められ、現在は社会福祉協議会の助成も受けています。

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一人の固有な存在として

去る9月8日、横浜教区の主教按手式があり、主教被選者入江修師が横浜教区主教に就任されました。入江主教の教区主教就任によりわたしは管理主教の任を解かれました。5ヶ月ちょっとの管理主教でしたが大変貴重な経験をさせていただき感謝でした。入江主教は中部教区とも深い関わりのあるお方ですのでこれから中部・横浜の協働が何らかの形で進められれば大変嬉しいと思います。横浜教区の新しい始動の上に神様の祝福と導きをお祈りいたします。

話は変わりますが、8月下旬、岐阜アソシア主催の〝かがり火2018〟に出席してきました。視覚障がい者の方々を対象とした結婚研修会で、今年で47回目になります。南は沖縄から北は北海道まで全国から多くの皆さんが参加されました。

来賓として参加された岐阜県視覚障害福祉協会の事務局長さん―女性の方です―の挨拶にはっとさせられました。その方は、特に男性の参加者に対してこれだけはお願いしたいと言われ、〝どうか相手の方に母親の代わりを求めないでください。生涯を共にする一人の女性として見てください〟と言われました。

その場にいた多くの人たちから―特に女性の参加者の方たちから―〝その通りだ〟という声なき声が聞こえたように感じました。そう感じたのはわたしだけかと思いましたら、あとで聞きましたらアソシアの館長も同じように感じたそうです。

性の違いがどうであろうと、障がいがあろうがなかろうが、「生産性」があろうがなかろうが、わたしたちはみんな固有で貴重な一人の人間として存在しています。その人に誰かほかの人を見るのではなく、その人自身を見るのです。その固有性を認め、受け入れるのです。そんなことに改めて気付かされた挨拶でした。